だいぶ溜まってしまった「児童心理」を読み進め始めた。
今回は、すでに2年前の6月増刊号(一応増刊号以外は読んだ。)
保護者面談・親面接を深める
真っ先に思い出すのが、10年ほど前勤めていた学習塾での進路面談。
休日を使って1日に10名前後の保護者との面談。
新人の頃は、途中から、誰に何を伝えたのか、何を話したのかわからなくなってしまった。
小学生のクラスと中学生のクラスを担任しており、それぞれ10名~30名のクラスだったので、ほとんど学校と変わらない人数。
それでも乗り切れたのは、やはり学校に対する期待と、塾に対する期待が違うというところが大きかったと思う。
今回この号を読んで、多く共通していたのは、
「みんな違う」ということを意識すること。
もう、とことんここなんだな、と改めて思う。
特に先生、講師などの、世間的に何かを「教える」という認識がされやすい職業に就いている人は、ここは常に肝に銘じないければいけないところだと思う。
気が付き出すと本当にたくさん、いや、やっぱりすべてにおいて物の見方が大なり小なり違うのだということを実感する。
では何をすればいいか。
やはり、視野を広げる、ということ。
視野の広げ方も2つあると思う。
1つは、自分の知らない知識を得たり、やったことのないことにチャレンジしたりすること。
もう一つは、今目の前にあることを細かく観ること。細部を見取れるようになることで、見える世界が広がると思う。
そして、自分で「本当に自分の知らないことがたくさんあるなぁ」と心から思える状態になっておくと、「みんな違う」ということを受け入れられるのではないかと思う。
そのほか気になった点
「人に甘えられる、人に依存できるということは、実はかなり精神の健康さが必要なのである。」
ここでの前提は学校の先生。でも、結構人に助けを求めることを甘えだと思ってしまう人は多いと思う。
健康なうちに、みんなで、自分の精神の健康さが損なわれかけているときに頭を回るキーワードなどを決めておくと、後でサポートを頼みやすいと思う。
「頭のなかで、前話したキーワードがくるくるまわっちゃって・・・「自分がやらなきゃ、自分がやらなきゃ」って。サポートワードでました。よろしくお願いします。」というように。
ある程度弱ってきたときは思考も弱ってきているときがあるので、ある程度強制的な力を使うのも悪くないと思う。
「登校しぶりの類型からイメージをふくらます」
類型は、分離不安、身体的症状の訴え、生活習慣の乱れ、知的発達的な問題、保護者による教育ネグレクト、保護者の精神疾患。とあった。
アドラー心理学を学ぶものとしては、やはりそこに、登校しぶりで起こっている事実、にも注目してもらいたいところ。
登校しぶりによって、子どもが得ているものは何なのか。目の前の事実をしっかりと観るということも大切ではないかと思う。
もちろんこの大前提として、学校生活、学校での先生や友達の関わりに最初に目を向けることは言うまでもない。
また、ここには書くことはできないだろうが、単純にそこの学校はその子に合っている場所ではない、ということもあると思う。そういう視野を持つことはこれから大事だと思う。
かなりの画一化がされている学校という範囲で、合わない生徒がいるのは当たり前だと思うし、そこではないところを選ぶことも決して甘えや逃げではないと思う。たまたま合わなかっただけ。だれが悪いわけでもない。そういう視点を持って登校しぶりには対応したほうがいいと思う。