そのままの勇気 | 「気づき」と「人間力」の教育 一尾塾

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こんにちは。

「気づき」と「人間力」の教育 一尾塾の一尾 茂疋(いちお しげひこ)です。

「勇気はいかに回復されるか」

第一章は「失われた勇気」

第二章は「勇気とはなにか」

今回は、

普段と同じ勇気

「勇気のある人は人生のあらゆる点において何かのことに関わっている。

彼(女)らは「これは私を越えている」といって脅しを受けることはない。

彼(女)らの問題のすべてにおいて、できるかぎり、全体的な状況を考慮するだろう。」


勇気がない人というのは、できるかぎりいろんな事柄に関わろうとしない、ということになる。

「これは私を越えている」というのは、出来事や事柄が自分自身の力を越えてしまっていると認知し、「おまえには無理だ!」と自分が自分に脅しをかけているということだと思う。

勇気があれば、そういう言葉が自分の中から出ては来ない、といういうこと。

全体的な状況、というのは、その目の前の課題の困難さにだけに囚われるのではなく、今の自分の力や回りとの人間関係や状況をきちんと考えること。

例えば、中学生のころ英語ができなかったとする。

その理由はいくつか考えられる。

単に、必要性がなかった。

先生が嫌いだった。

興味がわかなかった。

実際に時間をかけて勉強していなかった。

など。

しかし、大人になった今は、仕事で必要性はでてきているし、お金があるので英会話の先生も選べる。昔に比べれば興味もある。

時間だけはなんとかやりくりしなければいけないけれど、それでも中学生のころに比べればハードルは下がっている。

そういう現在の状態を考慮すれば、英語に取り組むことに何か特別な勇気はいらない。

それなのに、英語が苦手だから、とか、年だから、時間がないから、という理由で取り組もうとしない。

実際に必要とされる勇気は、それほど大きくない、普段と同じくらいの勇気でいいのに、それをしない。

ここは、勇気とは何か、という章なので、それを踏まえて考えると、勇気というのは、日常生活のなかで、ことさらなにか奮い立たせるというものではなく、それよりも、普段もっている程度の勇気をそのまま出す、ということなのかな、と思った。

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勇気はいかに回復されるのか―アドラー・アンソロジー/アルフレッド アドラー