Party of the future NAGOYA 振り返り パート4.1
同志社女子大の上田先生、法政大学の長岡先生、電通の北本さん、そして中京大の宮田先生。みなさんはじめましての方。上田先生は、プレイフル・シンキングなどの著書を読んでいたので、おぼろげながらイメージはありました。
ということで、4人のトークをオーディエンスたちが囲んで聞く。当然一番前に座った。ライブは近いのが好き。
形式は、事前にパーティーの参加者が質問ボックスに入れておいた質問用紙をランダムに引いて、こちらもガチャポンくじで4人の先生たちがその質問に対する答えを話していく。出来る限り予定調和のない仕組みではあるが、答える方は大変だろうなぁ。まぁそれを楽しめる先生たちはプレイフルだから大丈夫か・・・
出てきた質問は、
‘人はどこから来て、どこへ向かっていくのでしょうか。’
‘最近気になること’
あとひとつあったように思うけれど、忘れてしまった・・・
どの質問で、どの内容がでてきたか、どんどん記憶は薄らいでいるけれど、それでも覚えていることって、貴重、ということで。
・Partyについて
もともとはpart。分ける、役割というところからきている。パーテーションもそうだし。そこから考えると、いろいろと集まってからみんなで熟成させていくというよりも、普段は自分の役割を熟成させつつ、それこそ、パーティーのように、ぱっと集まって、ぱっと終わる。そんなことについての話があった。
また、終わりがある、という前提での始まり。
あぁこれって人生だよなぁと思いながら、聞いていると、そういう話もでてきた。
終わりを意識しながら物事に取り組むことで、また違った視点が手に入れられるのかもしれない。そして終わりがあるからこそつながりを考えるのかもしれない。
今物事が複雑化しすぎて、スタートとエンドがみえない。だれが作ったかわからない服を着ているし、だれが作ったか知らない食べ物を食べている。すべてをわからなければいけないとは思わないけれど、そこの終わりを感じることで、つながり、を感じられるのではないかと聞いていて思った。
ぱっと集まってぱっと終わる。まさにプロジェクト型。ダニエル・ピンクの本にあったことと重なっていて、記憶に残った。この後もいろいろと記憶に残っていることがでてくるが、それぞれが今まで自分の学んだ内容と一致していたことが記憶に残る要因であることは間違いないようだ。
・リバース・イノベーション
逆習。経済大国といわれる国、おもにアメリカで開発されたものは、電力やネットなどある程度インフラが整っている国では有用だが、そうではない国では使えない。そして、現地で使えるようにアレンジした商品やそのアイディアが省エネや手軽さを売りにして、再度アメリカで販売される。という流れ。すべてが豊富にそろっている場では考え付かないアイディア。そんなことを聞きながら、考えた。
これを教育現場に置き換えると、またおもしろい。学習を苦手とする生徒こそがイノベーションの素となれるわけだ。不登校だってそうだ。そこから何か得られることがあるのだろうと思う。そこになにかを見出すことで、次世代の学び方が見つかるのかもしれない。だからこそ相互尊敬、相互信頼が大切だし、そうやって考えることで、それらが育まれるとも思った。
ちょっとこの関連とは違うかもしれないが、イノベーターは破壊者だというメッセージがあったと思う。
では、教育現場での破壊者ってだれだ?と思うと、もしかしたら不登校者や、授業を崩壊させている生徒なのかもしれない。
そこに未来の教育へのヒントがつまっているかもしれないと考えるのは考えすぎか。
別に不登校を勧めるとかそういうことではない。その行動の背後になにかこれからのヒントが眠っているのではないかと考えてみてはどうかな、ということ。
育児講座では、よく言うのだが、子どもは身を呈して大人に何かのメッセージを授けてくれているのでは?と。そして、たしかにそういうところはある。私もたくさん子供たちに教えられているから。
そんなことをこの、リバースイノベーション、という言葉から考えた。
まだまだトークセッションはつづく・・・