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佐藤和男
「そしてあの、
昭和22年には「戦争犯罪論」という本を書物をお出しになりまして、
そして東京裁判を非常に強力にですね擁護、弁護なさったんですね。」

渡部昇一
「あたかも法律に基づいたの如くね、」

 

佐藤和男
「そうなんです、それで私どもまだ若い大学院の院生で
そういう本を読ましていただいたんですけれど、
最初は敬意を表して読もうと思ったんですけど、読んでいきましたらね、
非常にですね矛盾してるんですね、ですから
私どもは分がまだ大学院生でしたけど、分を弁えずに批判したもんでございますけどね、
まともな法律を勉強した方がまともな読み方をしたら到底認められないような形で
東京裁判を弁護してらっしゃいましたね、
ところがですね、
読売新聞昭和23年にですね、「昭和天皇退位論」をお書きになりまして

軍国主義的、帝国主義的代表昭和天皇はですね、当時は今上陛下ですけれども、
天皇はですね退位されるべきだと、いうことをお書きになりましてね、
それでこれが随分日本国民にですね間違った意識を植え付けてましたですね。」

 

渡部昇一
「私の友人に谷沢永一って方が文献学者がいるんですが
やはり文献学的に、あの人は文献学的にやるんですが、
横田さんの書いた物を調べてみたら、何かこうね、
最高裁判所長官とかね、文化勲章とかね、その匂いがし始めたらね、
どんどんどんどん軌道修正して(笑)」

 

佐藤和男
「これは噂話ですけど、「戦争犯罪論」を
文化功労賞になられ、そしてまた文化勲章を受章されたと、
その時にはですね方々から回収に努められたと、
これ努めてね「戦争犯罪論」を集められたという噂を聞いておりますね。」

 

渡部昇一
「私もその噂を聞いたものですからね、持っています。
(笑)集めました。」





 

佐藤和男
「東京大学のね国際法の教授で、
国際法学会の最高の責任者でいらっしゃったそういうお立場の方がですね、
東京裁判のね翻訳係になってね、
白金の服部マンションでね缶詰になっていらっしゃったというのは
非常に残念でしたね、

あの京都大学の田岡良一博士とか、
早稲田大学の一又正雄教授というですね国際法の立派な先生方が嘆いておられました。
これはね俗っぽい話で恐縮なんですが田岡良一博士ですね、横田博士とはね
外務省で外交官試験の国際法の面接委員をなさっておられたんです。
ところがお二人は廊下ですれ違っても
挨拶のなさらないという間柄であったと言われてますね。
田岡博士はGHQの特別な配慮でアメリカへ占領中に研究に行かれまして
ハンス・ケルゼンというですね
ご存知だと思います。
ウイーン大学の教授で、横田喜三郎さんの恩師ですね、
ユダヤ系ですから後にハーバード大学へ移られまして
最後にはカルフォルニアの大学へ移られました。
私も60年代にお目にかかったことがありますが、
田岡博士が、ケルゼン博士とお会いになって、

 

ケルゼン博士がですね、
「日本が国を挙げて無条件降伏したなんてそんな出鱈目はないぞ」

と大笑いされたんですね。

 

それで田岡博士はですね26年ですか、アメリカから帰ってこられまして、
朝日新聞が一つ訪米記を書いてくださいといったら、
田岡博士がですね実はケルゼン博士がね、「日本が無条件降伏したなんてとんでもない」
と言って大笑いしたことを書きましたらね、
朝日新聞はですね占領軍総司令部のねお怒りに触れることを恐れましてね
没にしてしまったんですよ。
田岡博士は非常に怒られたんですね。」


 

「日本がね国として政府としてね無条件降伏したなんてナンセンスだということを
ケルゼン博士がちゃんと喝破されたんです。
20世紀最大のね国際法学者ですからね。」




 

 



 



 

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渡部昇一
「その方にね文化勲章をあげたり、最高裁所の長官にしようなんて動いた人は
どういう人達なんですかな。」
 
佐藤和男
「まあ、結局ですね、一つにはですね、共産主義の勢力が

鹿島 守之助さんが私に話してくださいました。


 

渡部昇一
「ああ、そうですかそれは本当でしょうな。」

 

 

 

谷沢永一(関西大学名誉教授) 著    WAC BUNKO

悪魔の思想―「進歩的文化人」という名の国賊12人    を改題したものです。
反日的日本人の思想―国民を誤導した12人への告発状
谷沢永一 著     クレスト社 (1996/02)