長く投稿していなかったのでもう一個上げます。
今回は川中島の戦いについてです。
川中島の戦いで一番に思い付くのは有名な第四次での輝虎(謙信)と信玄の一騎討ちだと思います。
しかしこれは武田側の文書と上杉側の文書では書いてあることがちがいます。

武田側の文書は「輝虎と思われる武将が本陣に切り込んできて信玄公を切りつけたが信玄公は軍配で防いだ」(分かりやすく文を変えています)とありますが上杉側の文書は輝虎の配下が本陣に突入し信玄を切りつけたとあります。

おそらく切りつけた側の上杉の文書のほうが正しいと思われます。
この違いは武田側が信玄を切りつけた者が身分の低いものではまずいと思い輝虎が切りつけたことにしたと思います。
当時武田軍は最強と言われていたので面子が潰れないための書き換えだと思われます。

さらに有名なキツツキ戦法を立案した山本勘助ですが、創作の人物の可能性が高いです。
信憑性がたかい文書にはのってないので江戸時代に話を面白くするために書かれたのかもしれませんね。