昨年4月から一関に住んでいるのに、
一関の観光地に行く機会を逃し続けていました
二大景勝地のうち厳美渓は、昨年度住んでいた本寺に近かったので、車で通った時など何度か見ました。でも、もう1つの猊鼻渓は船下りするもので、通りすがりには見られないのです。
そして今回、緑のふるさと協力隊・渡邉亜理沙隊員の体験の一環で猊鼻渓に行くとのことで、私も便乗して連れていって頂きました
まずは、猊鼻渓の美しい新緑の風景
水しぶきもあげず、船はゆっくりと水平移動していきます。
ほとんど揺れなくて、船の上にいるのを忘れるくらいです
上りで降りた場所にある岩の窪みに運玉を投げる亜理沙隊員。
バレーボールで鍛えた肩で、見事窪みに入りました☆
きっと京津畑で素敵な一年を過ごせることとと思います
なんといっても醍醐味は、下りで披露される船頭さんの猊鼻追分
美しい緑の渓谷に船頭さんの歌声が響きわたって、なんだか夢の中のようです。
実際、心地よさにうとうとしてしまいました
行くまでは、ここまで素敵なところとは思っていなくて、感動しっぱなしでした
一関での観光を計画中の方には、まず猊鼻渓をお勧めしたいです
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昨年度は、住んでいた厳美町本寺地区を中心に、一関の西側(西磐井)での活動がほとんどでしたが、今年度は北上川から東側(東磐井)に行く機会が増えました。
一関市の「農村地域活性化モデル支援事業」の対象地域が、昨年度の3カ所から6カ所に増え、私も市役所を拠点に東西磐井の6カ所に関わっていきます
その1つが東磐井、東山町田河津の紙生里(かみあがり)。
平安末期、平泉の藤原三代の時代に和紙の製造を始めた土地です。
東山和紙(とうざんわし)として周辺地域にも技術が伝わったけれど、紙生里では製造が途絶え、その歴史の名残は観光地である猊鼻渓あたりに残っているのみです。
そして、地域の伝統である和紙を復活させようと立ち上がったのが、「紙生里の会」の皆さん
原料の栽培から、紙漉き、製品化までじっくり取り組んでいくそうです。
廃校した校舎を「紙すき資料館」として、昔の紙漉き道具を展示しています。
和紙の作り方はさっぱり知らなかったので、見るもの聞くもの初めてのことばかりでした。これは煮て干したコウゾの皮を剥いています。
土地自体、原料となるコウゾとミツマタが育ちやすいそうで、至るところにミツマタの木が生えていました。平安京から来た和紙職人に選ばれた土地だったのかもしれません。
和紙を作るために苗木を植えて、和紙を作れるようになるには3年かかるとのこと
まず今年度、紙生里の皆さんの挑戦を見守って行こうと思います。
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一関市の「農村地域活性化モデル支援事業」の対象地域が、昨年度の3カ所から6カ所に増え、私も市役所を拠点に東西磐井の6カ所に関わっていきます
その1つが東磐井、東山町田河津の紙生里(かみあがり)。
平安末期、平泉の藤原三代の時代に和紙の製造を始めた土地です。
東山和紙(とうざんわし)として周辺地域にも技術が伝わったけれど、紙生里では製造が途絶え、その歴史の名残は観光地である猊鼻渓あたりに残っているのみです。
そして、地域の伝統である和紙を復活させようと立ち上がったのが、「紙生里の会」の皆さん
原料の栽培から、紙漉き、製品化までじっくり取り組んでいくそうです。
廃校した校舎を「紙すき資料館」として、昔の紙漉き道具を展示しています。
和紙の作り方はさっぱり知らなかったので、見るもの聞くもの初めてのことばかりでした。これは煮て干したコウゾの皮を剥いています。
土地自体、原料となるコウゾとミツマタが育ちやすいそうで、至るところにミツマタの木が生えていました。平安京から来た和紙職人に選ばれた土地だったのかもしれません。
和紙を作るために苗木を植えて、和紙を作れるようになるには3年かかるとのこと
まず今年度、紙生里の皆さんの挑戦を見守って行こうと思います。
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