命日 | 英語とエイサーとベリーダンスで世界の架け橋に★沖縄出身福井在住MIRIKAのいちゃりばちょ~で~ブログ★

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英語・エイサー&沖縄民謡・ベリーダンス&フォークロアを通して世界を繋ぐ架け橋になるべく熱い魂(マブイ)を持って活動。「一度会えば皆きょうだい」という意味の沖縄のことわざです。

(Facebookに書いたものを加筆しています)

実は、2月23日は父の命日でした。

福井にいるから、特に何か出来る訳じゃなく
、いつも通りの1日を過ごしたけれど、でも、いつも心の中で思ってます🍀

私の記憶の中にある父は、今の私より若くて、これから私は父よりも更に更に歳をとっていくんだけど、父の分も幸せに、後悔のない人生を送れる様、毎日「生きて」いきます。

私はいつも父に護られてるって感じてます♪見えないけど、でも、護られてるのは分かるよ。ありがとう、お父さん。


火事で亡くなったので、思い出の物とかはほとんど何にも残ってなく、私が持っているのは、この写真一枚しかないです。だけど、毎日大切に持ち歩いています😄物をなくすのが得意(笑)な私が、唯一なくさないのがこれ。
でも、心配だし、今度これ引き伸ばしておこうかな。

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1992年2月23日。

あの日、「家が火事になっている」と連絡をもらい、向かった車の中で流れていたのは、「未来予想図Ⅱ」でした。だから、この曲好きだし、カラオケでも歌えるけど、心の準備なしで突然流れてきたのを聞いたりすると、今でも泣きそうになります。

父の名前を叫びながら火の中に飛び込もうとする母、それを、その場にいた人達が何人かがかりで止めていました。
頭の中ぐちゃぐちゃで、現実味がなくて、どうしたらいいのか分からなかった。

それから何回か転校しているけれど、私の生い立ちを知らない人達には、自分の父親が亡くなった事は一切話さずにいました。子どもだったのもあり、周りは理解してくれないだろうと思っていたし、同情されたくなかったからね。

すこーし話せる様になったのは中学上がってから、ある程度話せる様になったのは高校位。

火事の現場(元自分の家)には、ずっと行けなくて、避けてていましたが、ある日夫(当時は彼氏)と行く事が出来て、子どもの頃泣けなかった分、その時に泣きました。

でも、その時に、トラウマみたいなのがスーっとなくなって、楽に生きられる様になりました。

赤薔薇赤薔薇赤薔薇赤薔薇赤薔薇赤薔薇赤薔薇赤薔薇赤薔薇赤薔薇赤薔薇赤薔薇赤薔薇

大切な人が生きているうちに、沢山ありがとうを伝えましょう。
大切な人が生きているうちに、好きな気持ちを伝えましょう。
言葉で言えないなら、手紙でも、プレゼントでもいいよ🍀

私は、感謝の気持ちすら生まれないうちに、父親が死んでしまいました。
だからこそ、今は、大切な人達には、いつも感謝の気持ちを伝える様にしています。

そして、自分を大切にしましょう。
自分の人生を生きましょう。
生きている事は、当たり前の事ではありません。
生まれた事は奇跡であり、今生きているのも奇跡。

私は、明日死んでも後悔しないように、日々、自分の好きな事を全力でして、好きな人と過ごし、自分に嘘つかず、真っ直ぐな気持ちでいたいと思っています🍀