本年(平成30年)の6月8日で凄惨な秋葉原無差別殺傷事件から10年目を迎えた。現場の交差点では、炎天下の中、事件の被害者や通行人らが花束を手向け、犠牲者の冥福を祈っていた。現在は、秋葉原の歩行者天国に事件の面影等を残すものはほとんどないが、今も被害者や遺族は、癒えぬ苦しみや痛みなどを抱えながら、黙々と生きている。
平成20年(2008年)6月8日、東京都千代田区外神田のJR秋葉原駅近くにおいて、2トントラックが歩行者天国となっていた横断歩道に突っ込み、通行人5人をはねた後、容疑者は、車から飛び降り、奇声を上げながら、所持していたタガーナイフで次々と通行人や警察官等に切りつけた。この事件は、「秋葉原無差別殺傷事件」といわれ、同事件により7人の尊い命が奪われた。また、10人が重軽傷を負う阿鼻叫喚の大惨事となった。
犯人は、元自動車工場派遣社員の加藤智大(かとうともひろ)、25歳。彼は、職場の更衣室で自分の作業服が見つからなかったことから、いわゆる「派遣切り」にあったものだと思い、無断欠勤を続け、そのまま職場放棄。社会に対する恨みを抱き、「通り魔事件を引き起こす」との予告をネットの掲示板に繰り返し投稿するとともに、事件に使用するレンタカーのトラック1台やナイフ6本をあらかじめ準備をして、同事件を敢行した。
犠牲者のひとり、東京芸術大学の学生の武藤舞(21歳)さんは、携帯ショップの店員として仕事をしていた際、目の前で倒れていた老人を発見し、救護するために駆けつけ、戻ってきた犯人に背後からナイフで、脇腹を刺されたという。とても勇敢な女性でした。
犯行後、加藤は、電気街の裏道に逃走したが、万世橋警察署の警察官と出くわせ、最初は、ナイフでかなり抵抗したものの、拳銃による警察官の警告に従い、ナイフを捨てて、殺人未遂容疑の現行犯で、制圧・逮捕された。まさに、事件発生から犯人の逮捕までの時間が数分程度で、悪夢の一瞬の出来事だった。
犯行後、加藤は、電気街の裏道に逃走したが、万世橋警察署の警察官と出くわせ、最初は、ナイフでかなり抵抗したものの、拳銃による警察官の警告に従い、ナイフを捨てて、殺人未遂容疑の現行犯で、制圧・逮捕された。まさに、事件発生から犯人の逮捕までの時間が数分程度で、悪夢の一瞬の出来事だった。
犯行動機については、担当検事が生きがいのなさを感じ、周囲から孤立感を深めていた時に「そのはけ口だった携帯サイトへの書き込みを無視されたことへの不満が次第に怒りとなって犯行に及んだ」と指摘している。また、加藤は過去に異常なほど教育熱心な母親から様々な虐待を受けていたことから犯行の動機の一つに「親への復讐」があったのではないかとも言われている。
通り魔事件としては、過去30年で、最悪の事件と見られ、無差別殺傷事件としては、平成13年(2001年)同日(6月8日)に発生した大阪教育大学付属池田小学校における児童殺傷事件に次ぐ惨劇となった。また、この事件がきっかけとなって平成22年6月22日、広島市のマツダ本社宇品工場で42歳の男が12人の従業員を次々とはね、1人が死亡、11人に重軽傷を負わせるという類似事件が発生。犯人は、「マツダに恨みがあり、秋葉原のような事件を引き起こしてやろうと考え、工場内で車を停車して、振り回すつもりで、包丁も持って行った」と語っていることが判明した。同種事件を風化させてはならない。
当時の福田康夫首相は、泉信也国家公安委員長に対し、事件の再発防止策の検討を指示。これを受け、警察は、事件後、秋葉原周辺のパトロールを強化するとともに、電子掲示板などによる犯罪予告への対応を強化し、事件後1か月で100件を超える犯罪予告に対し、脅迫罪や威力業務妨害罪等で次々と検挙した。また、犯人が犯行に使用したタガーナイフは、刃渡り約13cmで、銃刀法の対象外(刃渡り15cm以下)であったことから、銃刀法を改正し、刃渡り5.5cmの剣が原則所持禁止となった。さらに、防犯カメラを数多く設置し、犯罪の抑止を図り、秋葉原の歩行者天国は、しばらくの間、中止された。(2018.6.11)
