琉球國(ウチナークチでルーチュクク)と呼ばれたのは三山統一して琉球王国が出来た1429~琉球処分で沖縄県になった1879までで、それ以前は阿児奈波(おきなわ)島と一般的に呼ばれていたようです、地方それぞれが割拠していたのでしょうが・第10回遣唐使船にて鑑真和上が本土に着く前に「阿児奈波島に立ち寄った」と・記録されて居ります、753年の事(奈良時代)でした:阿児奈波これは唐の文字ではなく、日本国語の当て字だったようです。
中山世鑑は琉球王国の正史であり、琉球語の文語で書かれています。また、中山世鑑は、当時の日本語の文語の標準的な規範に基づく記法で記述されています。
したがって、中山世鑑は、正真正銘の日本語かつ琉球語の文語で書かれています。
したがって、琉球語=日本語、というのは歴史的に動かせない事実、ということになります。
中山世鑑↓
鎮西八郎(源為朝1139~1170)
一方、琉球王国正史中山世鑑』や『おもろさうし』、『鎮西琉球記』、『椿説弓張月』などでは、このとき追討を逃れて現在の沖縄県に渡り、その子が琉球王家の始祖舜天になったといわれる、伝説的な人物でもある

そんな阿児奈波に2015/12/30~2016/1/5まで行ってきました

1/5 おいちいブレックファストで沢山エナジー補給
先ずは知名埼灯台を目指しました
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近くには
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東御廻りの重要な拝所
知念知名崎の海岸にある聖地、太陽神がここに降臨したと伝えられることから「テダ(太陽)」の名がつけられたという。琉球国王が久高島に渡る際、ここの湧き水を飲み休息をとり、ノロたちは航海の安全祈願をした。かつては豊かな水があふれていたが、昭和初期の近隣の採石のため泉は枯れた。しかし今でも最高の聖地のひとつとして人々から崇められている。1982年に知念村の史跡に指定され、現在も南城市の史跡に指定されている

水は枯れテダ前の海 勝連半島方面
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キャロットアイランド【津堅島】が見えます
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枯れテダ前の海からニライカナイを見ると
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辰巳の方向に【神の島久高島】が見えます
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アマミキヨが降臨した「久高島」へ向かう、安座真漁港入り口には デカビスカスが
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吊ボンベとご一緒に

久高島へ向かう高速艇を見送る

そして、こんなところを過ぎて
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山道を登って行くと
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そんな、ニライカナイを走ってみました
よゐこは真似しないでネ