理想の人生を創るなら「音楽を知ればいい」

 

ども、いっちーです。

 

このページでは、自己紹介ということで、

僕の略歴と、それを通しての僕自身の思いや正義、これから創っていきたい世界について、まとめていこうと思います。

 

 

ちなみに、話を進める前に、1つだけお伝えしたいことがあります。

 

それは、、、僕は“今は”、

 

いわゆる音楽活動らしい音楽活動をやっていませんが、

でも、それも含めて、個人的には、音楽をやっていると思っている、

ということです。

 

 

ちょっと日本語的におかしいように感じる人もいるかもしれないし、若干「癖が強い人?」と思う人もいるかもしれません。

 

でも、それこそが「日常全てが音楽だな」と

自分らしいと感じられる視点を得られた

大事な考え方なので、先にお伝えしました。

 

 

僕がここからお伝えしたいのは、

 

 

全てが音楽であり、

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

人生は作曲のように、

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

自由に描ける

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 

この感覚なんですね。

 

このことをお伝えするためにも、

 

自己紹介を通して、

「僕にとっての音楽」について

お伝えしていくことができたらな、と思っています。

 

 

 

「僕にとっての音楽」の捉え方は、

僕の生き方にも現れているかなと思います。

 

ちなみに、略歴をまとめると、

こんな感じです。

 

 

↓  ↓  ↓  ↓  ↓

 

・・・略歴・・・

 

理学療法士

日用品のネットワークビジネス

(案の定の結果となって引退)

社会福祉法人運営

(介護保険サービス:通所介護)

アーティスト、事業者の支援事業←イマ

 

・・・・・・・・

 

 

略歴を通して、

いろんな経験をしてきたことが

伝わってくれればいいのですが、

 

現在「アーティスト、事業者」の

支援をなぜやっているのかというと、

それこそが、僕の「音楽」だからです。

 

 

僕にとっての「音楽」とは、

“眼に映る全て”です。

 

これは、後でしっかりとまとめていきますが、

 

簡単にまとめると、

僕らには、感情がありますよね。

 

感情、つまり、胸の鼓動であり、

高ぶりであり、

 

それって、「音」だと、僕は思うんです。

 

だって、それが「声色」に現れるわけですし^^

 

 

そう考えた時、

 

僕の織り成していく事業が、

 

僕がサポートする人が、

 

また、その周りにいる人たちが、

 

最高の笑顔で、声色で、

感情で、日々を過ごせる空間を創ることって、

かなり作曲的だと思うんです。

 

 

そもそも論として、それを通して、

最高の仲間が集まってきたら、

 

それは「音楽活動」をする未来の、

最高のバンドメンバー集めにも繋がっていくわけですし。

 

 

つまり、僕にとっての事業は、

別に「音楽“事業”の支援」というわけじゃないよ、というわけです。

 

 

と、ここまでで、分かるように、

 

僕が、これからの

活動のための礎を築いていくような

働き方の選び方をしているのには、

 

僕なりの正義であり、美学であり、

いろんな観点が盛り込まれています。

 

 

早い話が、

 

「音楽」の単語の中に、

 

いわゆる「音楽活動」や、

「楽曲を創ること」だけでなく、

 

その思いが広がっていく土台づくり、など、いろんな要素が含まれています。

 

なぜなら、それが「ある」と、

思いを“狙って”届けていくことができますが、

 

それが「ない」と、

そもそも、僕らの思いを、

僕らがコントロールできる力が失われるからです。

 

パトロン、スポンサー、などなど、

そんな人たちの顔色を見ている「アーティスト」がたくさんいるのは、多少なりともご存知かと思いますが、それが、まさに典型例です。

 

つまり、僕らは「自分のやることがこれだ」と、限定するような考えをしていたら、もったいないよね。というのが、僕の主張です。

 

 

自分が全てを背負えるだけの力をつけ、

 

全部をコントロールできるからこそ、

 

何者にも左右されないその在り方は「ブレない」わけです。

 

 

それこそが、生き方としての『Rock』だと。

 

 

表面上の、オラついた発言をしまくる人はネットに散見されますが、その人たちは、だいたいブームに左右され、芸能人っぽい立ち振る舞いをしてますが、

 

その在り方は、生き方としての『Rock』ではないと、僕は思ってます。

 

 

それくらい、僕にとっては、

「音楽」の捉え方が、非常に重要だと思っています。

 

 

 

 

人生をデザインできる「音楽の定義」

 

 

繰り返しますが、僕にとっての音楽、

 

それは、「目に映る全て」だと思っています。

 

なぜなら、

僕らの目の前に広がる全ては、

「人の思い」がこもっている、と

言えるからです。

 

 

「思い(思念)」とは、

量子力学的には

 

「振動」です。

 

もちろん、思い、音楽に限らず

僕らの目の前に広がるもの全てが

振動でできています。

 

 

そうなったとき、

振動(音楽、思い)に共感して、

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

振動(体と心)で生きている

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 

と言えます。

 

 

「振動は、音」であるから、

 

そう考えたときに、

僕らの、人生も、日常も全ては

「振動」だからこそ、

 

 

音楽と同じように

人生を「作曲」できるわけです。

 

 

僕の目の前に広がる

日常は、人間も動物も、自然も物も、空気も

全ての振動(音)が折り重なって

奏であられる「シンフォニー」に

ようなもの、だと言えるわけです。

 

 

僕が「人生は音楽を知れば変えられる」と

定義することも、

 

視点の切り替え次第で

いろんな定義は、形を変えていきます。

 

 

僕は、この音楽の定義を

体現しながら、ここからの未来、

背中を預けられる人と出会いたいと

思っています。

 

そう思って僕は、今の事業を

しているし、

 

その目的で、

このブログを書いています。

 

 

 

ブログでお届けする内容

 

 

僕の記事がこれから、

中心にしていこうと考えているのは、

 

「音楽活動への準備力を育てるため」でもあり、

 

「音楽活動している時間以外」にも

「音楽を高める」という視点から

お伝えしていきたい、と思っています。

 

 

しつこいですが、、、

 

僕の中で音楽とは、

「日常の全て」を意味します。

 

 

別に音楽なしじゃ生きられない

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

とかじゃなくて、、、

 

 

本当に、日常の全てが

音楽的であり、

日常全てから

 

「音楽のセンス」

 

「音楽活動について」

 

 

様々な視点を取り込むことができるし、

 

 

そもそも、音楽活動は、

「僕らの思い」を、

 

目減りさせることなく、

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

そのまま届ける

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

ことにあると思っています。

 

そう考えた時、

 

「音楽活動」だけしかしない音楽人は、

 

「思いが目減り」する可能性を抱えている以上、

音楽活動をできていない、、、そのパラドックスに陥るとも言えるんじゃないかなと思うんです。

 

 

だから、僕は、

「音楽制作」だけでなく、

「音楽活動をとりまく全て」が当然として、

音楽人としての自分に必要だと感じて、

 

「音楽活動している未来の準備」として

今の支援事業もやっている、ということなんですね。

 

 

この視点がなければ、

「音楽人は、音楽を作ることだけやればいい」

 

という考え方になっていたと思います。

 

 

今は、音楽活動を支える

「音楽以外」を習得しているからこそ、

 

結果として、「音楽」に全力を

注ぐことができる、と確信しています。

 

 

 

そんな考え方の

「いっちー的音楽の定義」に対して、

 

「巷の音楽」の中には、

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

『資本主義的な楽曲』であり、

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

その音楽が生まれた所以が、

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

「売り上げのためのもの」は、

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

少なからず、存在しています。

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 

そういった、

自己表現を無視して、

 

「売り上げに迎合した音楽」と感じるものには、

 

理解はできても、

 

共感は到底できないかな、と考えると

 

 

「音であり、振動」は、

 

「正義であり、美学に裏打ちされている」とも言えると思うわけなんですね。

 

 

ひとことで言えば、

「音楽をお金稼ぎの道具にするなよ、、、」

という僕の正義が、美学が、

 

そこを受け入れない感覚がある、

ということですね。

 

 

この“違い”こそが、

人生でも、音楽でも、事業でも

「全て」を決める、と思っています。

 

 

だから、極論、、、

 

音楽は、「正義であり、美学の結晶」だとも言えると思います。

 

 

巷の「資本主義的な音楽」を

否定するつもりはありません。

 

実際、そのおかげで、

今のYoutubeや、SNSの文化ができた、

とも言えると思っていますからね。

 

それで喜ぶ人もいる、

ということを考えると

 

それはそれで、「巷の正義」なのかな、と。

 

 

ただ、それは『僕の正義じゃない』って

だけなんですね。

 

 

「それでは!」ってことで、

 

「いっちー的正義」について

語っていきます。

 

 

それが、僕のブログの構造でもあるわけです。

 

 

 

 

 

このブログの構造

 

 

このブログでは、

 

まだ、音楽活動を

始めるための成長段階にいる僕が、

 

まだ楽曲としては、

いわゆる「音楽活動」に

手をつけていないけど、

 

 

でも、未来の全てが「拓ける」ことに

ついては、確信を持つことができている。

 

その胸の内をまとめていきたい、と思っています。

 

 

全ては、

自分の思考の整理整頓の目的、であり

 

僕の思考に共感する人のためのもの、

 

ということです。

 

 

だから、

 

僕がこれまで何を感じ、

どう思考して、

どう生きてきたのか?

 

そして、その根拠になることが何か

 

 

僕のブログは

どちらかというと

 

普段目にする「お勉強のためのブログ」

というよりは、

 

「生き方、正義、美学、こだわり」

そして、その「基準値」としての

話が主軸になると思います。

 

 

基準値とは、「目の光」です。

 

つまりは、

「目の光の輝き度合い」で

自分の人生の輝きが決まる、と思っています。

 

 

僕は、19歳のときに、

福岡の天神警固公園で

音楽プロのスカウトが来たり、

 

事業家として、会社経営にNO.2として

関わったりしていた当時よりも

 

 

今、僕は、自分の未来が

より「自分的だ!」であると思えています。

 

 

 

つまり、

「今の僕の目の光」は、輝いている、と

感じてるというわけです。

 

 

その光に宿る「振動数」は、

そこに宿る「日常」は、

 

より、輝きを増しています。

 

それが、日常の笑いの質であり、

周囲の目の光が変わり

 

生きる原動力が変わっている、

 

と、言える根拠がある、ということです。

 

 

 

だから、

 

「今の視点で日常を見れる“前”の自分」と

 

「今の視点で日常を見れるようになった自分」

 

とでは、

 

 

同じテーマで作曲したとしても、

 

「完全な別物が完成する」と言えるわけです。

 

 

例え、テクニック、知識が同じだとしても

間違いなく、違う曲になります。

 

 

なぜなら、

「自分自身が音楽も、人との関わりも、

日常生活も全方位で『こだわり』を持ち始めたから」

 

です。

 

 

今の視点の僕なら、

「君の名は」で、一躍有名になった

 

RADWIMPSの野田洋次郎さんが

 

なぜ、恋愛や日常を「宇宙論」と

交えながら歌詞を書くのかも感じられます。

 

 

その感じたことが、

本人が発する言葉と

「一致しているか、どうか」は、どうでもよくて、

 

 

これまでの僕では、

「なぜ宇宙に例えるのか?」

という問いに対して、

 

「世界観を表現したいんじゃない?」

 

というなんとも曖昧な言葉でしか

表せない程度の感性しかなかったわけであり、

 

 

こうやって言葉にできる自分自身の

「成長」を肌で感じることができている

喜びは、なんとも、形容し難いからこそ、

 

 

野田さんの考えと

僕の考えの一致は、

良い意味で、どうでもいいかな、と

自然に思えるわけです。

 

 

だから、今の、もっと言えば

これからの自分が

創り出す全て(音楽以外も)が、

過去を遥かに凌駕すると本気で思える

 

こう、語れる音楽人と、

出会いたいと思っています。

 

 

そのために、

僕が何を、どう感じているのか

 

 

音楽が日常であり、

日常が音楽である、

 

と言える自分が、

 

どんな風に日常生活を

切り取って、

 

「音楽」として捉え、

「音楽」として、日常を作曲しているのか、

 

 

そして、ただの「作曲」だけでなく

 

音楽を事業にするために

「人の繋がり」を

日常からどのように

切り取って学んでいるのか

 

 

その根幹などを

 

僕だけでなく、

僕のブログを読む方、

1人1人の「希望の作り方」を

まとめたいと思っています。

 

 

 

 

これから投稿予定の「無料ブログ講座」

 

 

僕の「ブログ講座」の構成は

以下の3つで成り立っています。

 

■■■ 無料ブログ講座の記事は、こちら ■■■

※タイトルをクリックすると各記事にジャンプします※

 

1:全てを作る「自分」

   

 ①:人生も、音楽も、自己完結力があるから「自分らしさ」が手に入る。そのために必要なこととは?

 

 ②:自分の生き方に「エビデンス」は必要ない。僕が経験して見つけたその理由

 

 ③:大切にしている人と繋がりたいのなら、「成長の過程」を見せる、とは?

 

2:世の中を見る「目」

   

※タイトルをクリックすると各記事にジャンプします※

 

 ①:自分の本音が24時間浸透した日常を作るために必要なこと「前編」

 

 ②:【後編】自分の本音が24時間浸透した日常を作るために必要なこと

 

 ③:「予測と実際のギャップ」を埋めれば、日常全てをデザインできる

 

 ④:予測の精度を上げるための必要な情報は、思考の外側を見る「視点」で得られる

 

3:未来を共に創る「相方」

   

※タイトルをクリックすると各記事にジャンプします※

 

 ①:【本音が伝わる日常創り】仲間との未来創造〜前編〜

 

 ②:〜後編〜【本音が伝わる日常創り】仲間との未来創造

 

 ③:「価値観が共鳴した仲間」の関係を構築する「人育ての視点」と「本音のタイミング(過剰修正効果)」

 

 

1、2については、

これまでビジネス書や、ネット上では、

「自分磨き」という表現で使われている内容にも

近しいと思います。

 

「自己成長」ですからね。

 

 

僕らが、人生、日常を変えたいと思うのなら、

 

まず「自分」を変えないと

そもそも変わっていかない、と

考えがちになります。

 

確かにそれは間違ってないわけですが、

 

 

 

ただ単純に「自分を変える」ということをしても

 

未来は変わらないわけです。

 

 

なぜなら、

自分が変わっても、

「日常生活のルールが変わってないから」です。

 

 

どんな正義で

どんな美学で

どんな相方で

日常生活を作っていくといいのか?

 

その根本の部分が変わらないと

どれだけ自分を変えても、

どれだけ努力をしても、

 

そのルールが変わっていない

その日常に、違和感が残ってしまうわけです。

 

 

 

それこそ、

 

Mr.childrenの桜井さんが、

「音楽をやめたい」と思ったり、

 

芸能人が

不倫、ドラッグ、自殺などしてしまうことも

 

 

結局、「自分の手で日常のルールを創る」のか

 

「誰かの手で創られたルールに乗る」のかで

 

まるで変わってしまうわけです。

 

 

だから、「自分の手で、日常のルールを

創る」ためにも、

 

僕らは

最高の空間で、最高の自分で

いられることが大事になります。

 

そして、

 

「最高の空間の作り方」が、

 

3:未来を共に創る「相方」

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

であり、

 

 

「最高の自分の作り方」が

 

1:全てを作る「自分」について

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

2:世の中を見る「目」について

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 

ここにあるわけです。

 

 

 

僕のブログを通して、

共に、「日常という曲」を

自分の正義、美学、こだわりを

詰め込んで、

 

 

最高の空間として作曲していきましょう。

 

 

 

 

最後に・・・

 

と、いうことで、

 

自己紹介なので、さらっと終わるつもりでしたが、

 

長くなっちゃいました。

 

初っ端からごめんなさい。

 

 

とにかく、ですね、

 

ここでお伝えしたいのは、

「胸に熱いものを宿す人は、いっちーは大好きだ」ってことです。笑

 

 

だから、音楽を人生として、

深めるために必要なのは、

 

「正義と美学である」ということを

お伝えしたわけですが、、、

 

 

最後の最後に、

 

ならば、

 

「正義や美学はどこで深まるのか?」というと

 

僕は、「日常生活にこそ、ある」と

考えています。

 

 

それは、日常にこそ、

 

音(感情)の振動の「キワ」であり、

 

“魂”とも言える“楽曲”が宿ると思っているからです。

 

 

「日常生活」という

『自分が生きる世界』にこそ、

 

それぞれの

「自分のこだわり」

「正義感、美学」が反映されます。

 

逆に、手を抜こうとしたら、

どこまでも手が抜け、

それこそ、堕落、、、のような人もいます。

 

 

つまり、言動の一致感こそが、

「正義感、美学」の現れだと思うんですね。

 

 

だから、ってわけではないですが、

 

僕は、自分の私生活で、

 

・自分の立ち振る舞い、

・他者への声かけ

・自分の身の回りの環境の整理整頓

 

いろんな行動(音)を通して、

 

最善を尽くしているつもりです。

 

毎日できる「限界」と、対峙した日々を過ごしています。

 

 

そして、それは、

日常という五線譜に

「作曲している」ということに

等しいことをしていると思うのです。

 

 

 

日常には、

自分も他者も存在しています。

 

 

 

自分が日常を「作曲」するからこそ、

 

自然と日常生活の「キワ」に

 

こだわり、美学、正義が込められている、と

考えることができる、、そう思うんですよね。

 

 

 

だから、

 

自分のこだわり、美学、正義で

作曲した、日常を「嫌だな」と思う人は、

 

つまり、穏便に、平穏に、

何事もなく時間が過ぎる事だけを望む人は、

 

こちらと関わりにくいだろうし、

 

 

逆に、心地よいのなら、

自分と同じこだわり、美学、正義を

持った人が集まる。

 

あるいは、同じような価値観に

「育っていく」と言えるわけです。

 

なぜなら、

その「日常」という曲は、

自分が関わる相手も

無意識に「作曲している」からです。

 

 

だから、他者との関わりに

「合う、合わない」が存在しているわけです。

 

 

他者もまた、他者自身が最高だと思っている

日常を「作曲」しているわけだから、

 

僕らの日常って、

「自分の曲」と「他者の曲」が

折り重なって生きている、と捉えることが

できるわけです。

 

 

ちょっと詩的になりすぎているから

話を戻しますね。

 

 

とにかく、

僕にとって、「音楽活動をすること」も

「日常生活の『キワ』に目を向けて

人も、モノも、空間にもアプローチすること」も

 

同じ、と言えるわけです。

 

 

ということで、

僕が楽曲を作ったり、

 

いわゆる「音楽活動」だけが

音楽ではなく、

 

「自分の日常全ての過ごし方が

自分の音楽を創り上げる要素」だと

思っているわけですが、それは伝わったでしょうか。

 

 

 

まだ、

 

僕にとっての「音楽」が

 

一体なんなのか?

 

お前は一体何言ってるんだ?

 

って人もいるかも知れません。

 

 

ただ、ここまで読まれているということは、

 

少なからず、興味は抱いておられるということだと思うので、

 

各種記事を用意しました。

 

 

それが、こちらです。

 

 

■■■ 無料ブログ講座の記事 ■■■

※タイトルをクリックすると各記事にジャンプします※

 

1:全てを作る「自分」

   

 

 ①:人生も、音楽も、自己完結力があるから「自分らしさ」が手に入る。そのために必要なこととは?

 

 ②:自分の生き方に「エビデンス」は必要ない。僕が経験して見つけたその理由

 

 ③:大切にしている人と繋がりたいのなら、「成長の過程」を見せる、とは?

 

 

2:世の中を見る「目」

※タイトルをクリックすると各記事にジャンプします※

   

 

   ①:自分の本音が24時間浸透した日常を作るために必要なこと「前編」

 

   ②:【後編】自分の本音が24時間浸透した日常を作るために必要なこと

 

 ③:「予測と実際のギャップ」を埋めれば、日常全てをデザインできる

 

 ④:予測の精度を上げるための必要な情報は、思考の外側を見る「視点」で得られる

 

3:未来を共に創る「相方」

※タイトルをクリックすると各記事にジャンプします※

 

   

 

 ①:【本音が伝わる日常創り】仲間との未来創造〜前編〜

 

 ②:〜後編〜【本音が伝わる日常創り】仲間との未来創造

 

 ③:「価値観が共鳴した仲間」の関係を構築する「人育ての視点」と「本音のタイミング(過剰修正効果)」

 

 

 

音楽に正解はないし、

 

全ての答えが、正解だと言えば正解なのですが、

 

 

個人的には、

 

音楽とは、人の日常生活の全て

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

と捉えると、全ての物事に説明がつくと思っています。

 

 

なぜなら、

 

そう考えたときに、

 

  • 親子関係
  • 夫婦関係
  • 友達関係

 

全てが「音楽」だと言えるし、

 

そこに息づく「笑顔の質」が、だいたい同じことにも説明がつくからです。

 

 

 

そう考えると、

 

日常生活であり、空間であり、

 

未来の生活であり、空間であり、

 

 

その全てが「自分的だ!」と

言えて初めて、周りが届ける正義であり、

美学を「発するに至る」と思っているわけです。

 

 

つまり、

思考であり、

発する言葉であり、

日常生活の会話であり、

自分の周囲の人の質であり、

自分の背中の質であり、

自分が残すものであり、

 

 

その表現方法の1つが

楽曲であり、歌詞である、

と言えるわけです。

 

 

つまり、

僕がお伝えしたいのは、

 

「全てが『至った』からこそ、

できるのが、音楽活動だ」と

 

そう、僕が思っている、ということです。

 

 

 

と、いうことで、

 

長い自己紹介でしたが、少なからず、僕がお伝えしたいことが伝わると嬉しいです。

 

 

では、次は、各種記事で^^

 

 

 

いっちー