金曜日夜を狙って、昨夜フェルメールからのラブレター展 に行ってきた。
いつも都内の展覧会は、金曜日の夜を狙って出かける。比較的空いているからだ。
と言っても、そうでもないときもあるのであてにはならない。(笑)
で、今回は会期終了間近だったので多少は混雑しているだろうと覚悟していたのだが、19:30時点ではさほど混雑しておらず、どの絵の前にもまんべんなく人がいたが、フェルメールの3点の絵の辺りも夫々10名前後の人々が群がっている程度。
私はフェルメールフェチの気があるらしいので(←他人事かよ・・・)3点も鑑賞するとなるときっと凄い集中力と時間を要すると思われるので、他の絵は余力があったら観ることにした。
会場のレイアウトがよく考えられておりフェルメールの3点は展示室の壁3面を贅沢に使って、1壁1点だったので、中央に立って3点の絵を遠巻きに眺め、空いてきた絵の近くに行って眺めて、空きができたら絵の前まで進んでかぶりつきで観るということが十分可能だった。
どの絵もかぶりつきで10分以上観ることができ、それがひんしゅくを買わない程度の混み具合。
もう、何物にも代えがたい贅沢で幸せな時間だった。
どうしてフェルメールの絵はあんなに不思議なのだろう?
いろんな人が分析したり推理したりしているのでそんなものも読んだりたこともあるのだが、自分の感性が大事だと思うものについては、人の意見を鵜呑みにしないようにしているせいかすぐ忘れる。(←単に記憶力が悪いだけ・・・)
カーテンから透ける光や、光を受けて光る真珠や真鍮の鋲。ドラマチックではないのに気になる登場人物。
もちろん、大好きなラピスラズリで彩られたブルーもその魅力の一つ。そして、そのブルーと組み合わせている他の色との対比もすごく素敵。
いつもその絵を観ていると時間を忘れてしまう。
手紙を読む青衣の女 アムステルダム国立美術館蔵
この絵に対面するのは3度目か4度目。
アムステルダムの美術館には2度行っているのだが、2001年にロンドンのナショナルギャラリーで観たフェルメール展に来ていたかどうか記憶がない。(笑)
たしか13点が一同に会していたが、「牛乳を注ぐ女」を一番熱心に観ていた記憶がある。
今回は、修復が行われてブルーの服を始め後ろのタペストリーや椅子の鋲などオリジナルに近い形での鮮明な色彩が現れておりそれを目にすることができて大感激。
やはりフェルメールは光の粒が一番気になるのでそれが不鮮明だと魅力も半減するのかも。
このご婦人、妊婦に見えるがどの解説にもそのようには書いていない。
気になったので、展覧会の後いろんなアート本を読み漁ったら、ゴッホがこの絵を観て「妊婦が手紙を読んでいる画」と日記か何かに書いていたらしい。ゴッホもそう思うんだから、その辺のところはきちんと解説してほしいものだ。(笑)
↓手紙を書く女と召使い アイルランド国立美術館蔵
これは多分初めて。
カーテンの具合とか窓とか本当に観ていて飽きない。
床に落ちている蠟の封印が剥がれた書きなおす前の手紙(解説を読んだら恋人からの手紙らしい・・・何で床に・・・・)とか、色々観れば見るほど色々ある。
一体何を思ってフェルメールはこれらを書きこんだのだろう?とか色々考えるときりがない。
で、人物の表情はつい後回しになるのだが、召使いの表情が非常にイジワルだ。(笑)
「ど~せ無駄なのに、また書きなおしてるし・・・。早く書いてくれないかな~。出しに行くの私なんだし・・・」
って言ってそうな感じがした。(笑)
一方手紙を書いている必死な感じのお金持ちなレディは、なんだかF原N香に見える。顔がすごく似ていると言うよりもにじみ出る必死さと言うか、十分に美貌もお金も持っているのになんか少しイタイ感じがするところ。
ひどいな~、我ながら。(笑)
手紙を書く女 ワシントンナショナルギャラリー蔵
見るからにお金持ちで幸せそうなご婦人。そのアクセサリーとか机上の真珠や小物のきらめきが目を引くし、光の集め方や流れのようなものにも心奪われる。
これもかなりの時間眺めた。
今回の展覧会は都内の他のものに比べて30~40代と思われるスーツ姿の単独男性が多かった。
フェルメールのファンには男性が多いと聞いていたが本当なんだな~と思ったし、シルバー世代の方を見かけなかったのも驚き。もっとも金曜夜の渋谷ってこともあるのかもね。
そう言えば、渋谷109の2Fにあるちけっとぽーとで前売り券を買おうと思って立ち寄ったのだが、フェルメール展は、会期が始まると同時に定価販売を義務付けられたそうだ。
私はここの売り場の割引券を持っているのでよく利用するのだが、いつの間にそんなことになったのか聞いてみると、この展覧会は主催者からのお達しでこうなったが、通常は会期が始まっても前売価格での販売をしているそうだ。
やっぱり、好きな絵を思いっきり鑑賞できるのって至福の時間だ。
カイシャでのいろんな嫌なことが洗い流されたような気がしたほど。
まさに都会のオアシスだった。