今、やっと向井君がプロモーションで頑張っているからという理由だけで、録画しっぱなしの「江」第26回「母になる時」を見ている。

体調が今一つなので家でのんびりすることにしたのだが、そう言えばこれがあった・・・と、テンション低めのときに視聴することにしたのだ。元気な時にはもっと生産的なことをしたいしね。。。

それに、今晩には第27回になってしまうからノルマにしないとあっという間に溜まってしまって、向井くんのがんばりを見届けられないくなるから。。。


江戸城の門番のシーンから始まっていきなり、畳に仰向けでごろ寝の向井君じゃなくて秀忠の上からの3段構えショットで始まった。
この顔が前歯がのぞくほど口を開けていて間抜け~で、顎あたりもふくれて見えるので、なんか拗ねたヒヨコのイラストみたい。。。(←ひどい表現)


その後もしばらく、父家康(北大路欣也)の出陣を見送るシーンも草刈正雄との会話で、回想として出てくるのだが、いくら反抗期のやる気のない武士の役とは言え、佇まいが全く武士らしくなくて、ニートか何かみたいな身体表現なのだ。

演出家の指示なのかもしれないけど、かわいそうすぎ。

もし、向井くんが脚本を読みこんでタブチセンセーの世界観に沿った秀忠を自分なりに表現した結果なのであれば、時代劇を作っているNHKのスタッフたちは、時代劇初挑戦の向井くんにもう少し丁寧に指導してあげてもいいんじゃない???

ま、主人公のヒメがアレなのでお似合いなのかもしれないけれど、何のために徳川秀忠をやっているのだろう?


少し前にたまたま見かけた朝ドラ「おひさま」で、映画「ハゲタカ」で(鷲津を追いかけていた)劉君(玉山鉄二)を追いかける守山役をやっていた高良健吾君が、普通の服でちゃぶ台の前に正座しているだけで、あの時代の青年を感じさせてくれたのに感服したのだが、その時に思わず向井くんの秀忠の振る舞いを思い出してしまった。。。


徳川家の人間なら何をやっていても武士らしさがにじみ出なければならないと思うんだけど、人寄せパンダ扱いされちゃってる向井くんにはそこまでやってもらわなくてもいいと、考えられているのか???

それとも、脚本家が望んでいる通り現代っぽくリクエスト通りにやるとこうなるのが正解なのか???


「江」がどんなにヒドいドラマでもど~でもいいけど、向井くんのことを思うと辛い。(笑)

今後将軍になった時とのギャップを考えての演出だとしたらあまりにも向井くんや視聴者をバカにしていると思うのは私だけ???


で、ノダメヒメ(上野樹里)と秀勝(AKIRA)の結婚を聞かされた秀忠君がやっぱりね、的な感じでしゃべった後、ノダメヒメがくしゃみをするシーンに変わるという、何十年前かと思うような脚本。凄すぎ・・・。

これで納得できる現代の日本国民ってどれほどいるのだろう?


今回は、タイトル「母になる時」そのもので、秀勝とのラブラブ新婚生活~秀勝の朝鮮出陣~ノダメヒメの妊娠~秀勝の朝鮮での様子だったのだが、この朝鮮での出来事が・・・。


スイカやなんやかんやを秀勝の陣営に搾取されたらしい地元の民が抗議に来たところを、切りつけようとした秀勝の家臣。その標的になった民を庇って足を切りつけられてしまった秀勝。

大したことは無い、民を苦しめるなみたいなことを言うヒューマニズム溢れる秀勝は、なんとこの切り傷が元で病死してしまうのだ。これって史実なのだとしたらすごいし、脚本家の創作だとしても凄い。。。


これだけですよ~、今回の大河ドラマ。

これがおもしろいとか楽しみとか思える方の感想を聞いてみたい気もするけど、もともとサイバー引きこもりのワタクシは検索してまであちこちネット徘徊しないのでそれもしないというナマケモノ。


これを見ていると、NHKは日曜夜8時から豪華な俳優を使って予算も時間もかけて一体何をやりたいのだろう?とかそういう事を思ってしまう。

ある意味哲学的なドラマである。(笑)