上野の国立西洋美術館でレンブラント展

http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/rembrandt201103.html

を観てきた。

前売り券を購入していたのだが、震災の影響とかでいつまで経っても金曜日夜の展示を再開してくれないので、あきらめて平日午後に無理矢理休んで上野まで出かけた。

17:30までの展示って、フツーの勤め人は混雑している土日に見ろってことなんだろうけど、電力不足に協力する趣旨なら“夜間にも発電され続けている消費されない電力”を使うのってむしろいいことなんじゃない?絵を見たい人もいるんだし・・・。と、いつもの如く頭の中は文句タラタラ(笑)

だって、私が行った時はお手洗いがガラガラだったのだが、なんとこの暑いのに便座ヒーターがONになっていたのだ。まず、節電ならそこからやるのが基本でしょう???

国ってお金あるんだな~と、つくづく思う民間人nanako。


混雑が心配だったが、平日の夕方16:00前はガラガラと言ってもよい状態。

版画の展示が主だったので近くで見ないと意味ないし・・・と、空いていそうな時間を狙ったが大正解。


レンブラントは主な作品を見たことがあるくらいで、この展覧会のテーマどおり「光と闇の画家」というのが私の中のイメージ。オランダにゴッホの絵を観に旅をした時に、アムステルダム国立美術館に行ったついでに(失礼な・・・)あの有名な「夜警」を見なくちゃ・・・と行ったのを思い出す。

だって、この美術館には、私の好きなフェルメールの「牛乳を注ぐ女」などがあるんだもの。


でも、お隣のゴッホ美術館でゆっくりしたかったので、観たい絵だけをピンポイントでじっくり観るといういつものスタイルだった。で、「夜警」の展示エリアに近道しようと人気のない裏階段みたいなところに紛れこんでしまった私は、思わず窓ふきをしていたおじさんに、英語でレンブラントの夜警のところにはどうやって行けばいいのかを聞いてみた。もちろん、オランダだから英語が通じるかどうかは賭けだった。

ところが、窓ふきのおじさんはとても流暢な英語でわかりやすく道順を教えてくれたのだ。

その後、街の外れのフツーのレストランでもどこでも英語が通じ、アムステルダムの市民の語学力に恐れ入った経験がある。因みに当時のベルギーは観光客が少ないところではフランス語しか通じないことが多かった。


で、対面した「夜警」はその大きさにまず圧倒された。

nanakoのブログ

画中の人物の大きさが、実物大くらいだったような記憶がある。

でも、すっごく昔の記憶なので怪しいけど(笑)

そして、これだけ大きいのにどこまでも手抜きが無くて闇のように見える部分もきちんと描かれていることも、実物を見るまでは意識していなかったので感激した覚えがある。


今回上野では、油絵の作品は少なかったのだが自画像を観てアホな感想を持ったワタクシと連れ。


↓こんな画像では伝えきれない素晴らしい筆致なのだが・・・。
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↓「アトリエの画家」・・・哲学的な絵である。
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絵の素晴らしさは言うまでもないのだが、レンプラントってヒトはどうも5頭身くらいしかないように見えるのだ。

私と連れは、そのことがどうしても気になって(←アホである)他の人物像の身体バランスもしっかりチェックしたのだが、やはりレンブラント自身だけが5頭身なのだ。。。ど~でもいいけど、もっとかっこよく描いてもいいのになんて自虐的なのだろう?と思ってしまった。


で、今回の上野での展示会は油絵ではなくて、版画が中心だったのだが今までレンブラントの版画は多分見たことがなかったので、とても興味深く見ることができた。

「レンブラントハイス」というところからの貸し出しが殆どだったが、私はノーマークだった。

「レンブラントハイスはアムステルダム中心地にある、かつてレンブラントが住んでいた家を美術館に改築したもので、そこにはいまも当時のアトリエなど、画家の面影が残っています。」

なのだそうだが、確かにアムステルダムをうろうろしていてレンブラントの住んでいた家はしっかり見た記憶があるが、その中にそんなものがあるとは気付かなかった。

何しろ、その時はアムステルダムには2泊しか出来なかったからレンブラントどころではなかったもので。。。


考えてみれば、光と闇を描きたかったのであれば版画は持ってこいの手法だ。

エッチングが多かったが、とても精緻なものからマンガチックなものまで本当に全部同じヒトの作品なのかと思うほど作風が違うのだ。

しかし、同じ版であっても和紙やいろんな紙で刷っているところをみると実験的なことが大好きな人だったのだろう。


同じ版画というジャンルに属するアートでも、写楽とは対極の楽しさだ。

双方の展覧会で「刷り」(写楽展では「摺り」の方が適切か?)による比較展示を行っていたが、まったく違う目的だったのも面白かった。


写楽展での「摺り」による違いは、恐らく作者が望んだであろう最善に近い状態の作品と、そうではないモノとの比較だった。(詳細はコチラ⇒特別展「写楽」@上野は楽しい!


一方、レンブラント展では恐らくレンブラント自身が同じ版でも紙の違いがどのように反映されるのかを楽しんでいた、もしくは実験していたことを窺わせる展示であった。

和紙を使うと、ニュアンスまでもが表現されているのだ。西洋紙だとなんというか、白黒がパキっと分かれているデジタルな感じがする。でも、作品によってはそうでなければ何が描かれているのかわからないものもあったりするので適材適所を探っていたのだろう。と、作品解説を一切読まないシロートは思うのである。(笑)


しかし、今の私でもアムステルダムまで行ったとしても、レンブラントの版画をじっくり観る時間があったらゴッホを飽きるまで観たいと(飽きるはずないんだけど)思うだろうから、やはりレンブラントハイスには行かないだろう。

そういう意味で今回の展示会は興味深いものであったし、東京に暮らしているメリットの一つを享受できたと思える時間であった。