昨日の記事その1「龍馬伝」フィクション×ノンフィクション@銀座アップルストア メモ のつづきです。
伊東潤氏(以下I):キャスティングの件やキャラクター作りについて伺いたい。
大友啓史氏(以下O):従来の時代劇のルール、例えば髷は立派な方がいいとか、その辺から見直した。
武市半平太は、大森(南朋)君がやっているように剃りが狭い。
武士は剣道を小さいころからやっているので側面が面ずれし、正面から見ると髪の毛が少ない。
従来のルールで動いてきた衣装スタッフを説得するのに当時の写真を見せたりした。(このあたりのことは、人物デザインの柘植さんもHPなどで語っていらっしゃるので省略します)
当時の日本人(男子?)の平均身長は、150cmで、今は170cm。当然色々なバランスも違うはず。当時の写真を見て感じたサムライのシンプルさを、僕らの視覚的な判断によって役者の元々のキャラを併せて作為的に作った。
時代劇に慣れている役者は大丈夫だが、そうでないとカツラは鉄のヘルメットのようなものなので締めつけるのですごく違和感があって、芝居に集中しづらい。
役者ってのは、スタッフもそうですけど、みなさん新しいものに飢えているんですよ。
だからそれがみなさんにとって楽な方向で、ストレスにならない方向ならいいかな、と。
田中泯さん(吉田東洋役)は、ダンサーなので体の重さに敏感なので(かつらや衣装の重さで)動きに制限が出てしまう。だからなるべく軽くしていくようにした。実際吉田東洋は髷の部分くらいしか付けなかった。着物にしても単衣にして風にはためくようにした。
(実際江戸時代は今のように裏地が付いていなくて軽かったと、横浜のセミナーで柘植さんがおっしゃっていた)
I:架空の人物設定(とおっしゃったと思う)については、最初に脚本の方と相談したのか?
O:非常にバランスのいいかたなので。大河はちょっとの嘘でも攻撃されるが、本当の歴史の方が圧倒的に面白いと僕は思う。ただ、それを全部やると予算も・・・(笑)
弥太郎と龍馬が幼馴染=フィクション。
この前提を決めたことで、大きな嘘をつくときにはいかに小さなウソで埋めていくかということに注力できた。映像もウソをいかにホントっぽく見せるか、プロダクション的にこだわっている。
I:やっぱり福山龍馬を活躍させないといけないし、というのはわかるが武市さんに会いに行くのは無いかと・・・。(笑)(半平太が投獄されて、龍馬が自分が吉田東洋暗殺犯だと後藤象二郎に言ったあの頃の話)
O:あの時期は、証拠が何も残っていない。そういうところこそ「チャンス」だと考えている。(史実に縛られないでフィクションを思い切り書ける)弥太郎も細かく日記をつけていたのに龍馬暗殺の2週間は日記がなかったりする。
♯設定と演出
石川幸宏氏(以下、司会):毎回映画のように重いドラマ。DVDになってずっと見ていたら・・・。(笑)
O:ラスト(最終回)は今編集して77~76分位になっていて、自分で見ていてもドっと疲れる。(笑)
見ただけで仕事をした気分になるくらい。(笑)
龍馬さんは一生のうちに地球2.5周分も移動している。何のためにこの人はこんなに移動していたのか、お墓に行ってみたり平井収二郎の遺書の血文字を見たりして考えた。たかだか150年前に彼らが生きてたという証をどっかで伝えたいと思うと、8時のエンターテイメントをやんなきゃいけないんだけど、どうしても重くなってしまう。
あれだけのことをやった龍馬をやるんだから、自分たちもリスクを取らないと、という気持ちだった。
武市さんの牢に龍馬と弥太郎が来て3人のシーン。
それぞれの役として同じ時間を生きてきたからからこそのシーンだった。シーンのスタート前は、龍馬を演じようとして
いる福山さんだけど、スタートした途端龍馬になる。龍馬として生きた、役として付き合ってきた時間が長くなる、そうすると何もしなくても役者というものは役そのものになってしまう。(このあたりのことは、香川照之さんがそのエッセイでも書かれている。(弥太郎?目線の『龍馬伝』 )
カメラマンも現場で自分の思いで好きなように撮る。
それぞれのいろんな思いがウワ~っと来る。(笑)結果、日曜8時には・・・。(重すぎる)
司会:児玉清さんから「監督がカットかけないんだよねぇ」と聞いたことがあるが。
O:かけないと、いろんな表情が出てくる。僕らには編集という武器がある。(笑)
何か(台本と)違うことが起きるかもしれないと期待している。
司会:現場では台本禁止と聞いたが。
O:カット割りを決めるのが演出の大事な仕事。でも僕は一切やってない。(笑)カット割りを決めると、カメラマンが役者の芝居を見ないで、カット割り通りに撮ることに気を取られる。だから僕は真っ白で入る。他の演出家は色々書いているけれど。(笑)
僕らは黒澤(監督)じゃないので、雨が降るまで待てない。(笑)臨機応変にやっていかないと。
変更がある都度台本変えて刷ったりコピーを取ったりしていたら紙の量がすごい。僕、エコディレクターなんで、「今年1年は、エコ大河で行く!」とか言って。(笑)
司会:清風亭会談については、鈴木プロデューサーに聞いたが、3人のシーンで20分もの長回しだったとか。例えば、ER(米医療ドラマ)でも、動くカメラが廻ってくるようなものでもカット割りができているんだな~というのがわかるが、龍馬伝はカメラワークも現場に挑んでいる感じがする。
O:清風亭会談は、5台のカメラで「生中継やるぞ!」って。カット割りすると丸二日はかかる撮影。空気感を作って切り取るという発想。「画(え)は頼むよ、カメラマン。あんたプロなんだから」(笑)
もちろん、時間があれば色々やりたいし、レンズまで決めたいくらい。こっちも、難しい意地悪な問いかけをしてきたが、それを一番楽しみたいのが自分でもある。
演出、方法論が乱暴だと思う。でもアメリカでも見てきた方法。テレビドラマの文法=例えば、顔には光が当たっていなくてはならないとか、そうじゃない仕掛けがあってもいいじゃん、それでいいんだよ、というプレゼンテーションをスタッフや役者にしていくことが大切。
司会:女優さんのメイクについては?(広末涼子さんはほとんどノーメーク。寺島しのぶさんは真っ黒とか)
O:何を美しいと思うかの問題。白洲次郎の時もプログレッシブカメラを使ったが、原田美枝子さんに「全部これでやってほしい」と言われた。基準が「きれいに、お姫様に見せる」ドラマじゃないよ、ということをわかってもらえればOK.。役者のいい芝居を撮ることが大切。それに、きれいにしていると役者の自意識が出てきてよくない。上手く、きれいに撮られたいとか。素敵な芝居で勝負するという論理を分かってもらうようにすれば、僕の知る範囲ではクレームは無い。(笑)
つづく。