先日、最後の方だけ放送をリアルタイムで見た時点で感想を書いた日本アカデミー賞授賞式

めったに映画館に行かなくなって数年だったが、昨年はハゲタカを10回目と11回目に観たときにカップリングされていた「ディア・ドクター」と「剱岳 点の記」もついでに見ることができたのはラッキーだったのだろう・・・なにしろアカデミー賞の話題作ばかりだ。それ以外の映画は、THIS IS ITしか観てないし。。。


昨日、その授賞式に実際にいらしたハゲタカ廃人のAさんからいろいろとお話をうかがって、TVを見ているだけではわからないもんだな~と思ったので覚えている範囲で、自分の備忘録(←何のために?)代わりに書くことに。


TVの放送は夜9時~だったが、実際は7時半(だったと思う)には授賞式は終わっていてその後に別の部屋に移ってプリンスホテルのディナーだったそうだ。

その時のお料理も見せていただいたが、美味しそうだった。そのお料理をあの方々も召しあがったということかぁ。

そのお話をうかがっている最中、私たちはマンダリンオリエンタル東京ホテルのシグネチャーでランチをいただいていたので、「どっちが美味しい?」と伺うと「あっちは、値段が値段だから」と前置きしつつもシグネチャーのメニューのほうがお好きとのこと(笑)


で、昨夜のコーフン冷めやらぬAさんは、なぜか(だって、荷物は座席にないのに・・・)各種資料を次々と取り出しながらお話が尽きない(笑)


まず、Aさんは4万円であの座席はひどい!と苦情を訴える。もちろん、会場図&チケットを見せながら(笑)

なんでも数年前に参加した時は、今回と違って会場が横長に使ってあったのでもっとステージも近かったそうだ(笑)


でも、Aさんの席からは堺雅人さんとお話しする大森南朋さん、大森南朋さんと楽しそうに談笑しつつもワインをかなりたくさん召しあがっている玉山鉄二さんもよく見えたとのこと。「それ以上、何を望むというのだ???」と突っ込む私たちに、「自分と、ハゲタカテーブルの間の関係者テーブルのおじさま達が食事をするのに動くと見えなくなる!」と、会場のテーブル図を見せて下さりながらプンプンしているAさん。


いつ、誰がトイレに行ったとか、帰ってきた順番とかリアルなお話が続く。

いちいち推論を交えた感想を言う私たち(笑)

大森南朋さんがトイレにたった後、玉山鉄二さん、そして大友啓史監督と続き、大森南朋さんが最後に席に戻ってきたと聞いて、「みんな煙草吸いに行ったんじゃない?」とか勝手に言いたい放題。


鳩山さんが入場した時のことを聞いたら、TVの印象よりは現場は「おお~~っ!」と盛り上がっていたらしい。で、JALに絡んで放送できなさそうなコメントをされたとのことだった。

Aさん、放送はされなかったけど、土曜日の東京新聞朝刊にしっかり掲載(笑)


「JALは沈んじゃったような気もしますが、まさに「沈まぬ太陽」でJALもよみがえって」などと話し、会場を沸かせた。


Aさんのお話ではもうちょっと違う感じだったような・・・会場はむしろざわざわしたとか。。。


一番知りたかった、ハゲタカ関連のインタビュー。


あの放送を見る限り、関根さんはハゲタカをちゃんと見ていないのでは?という感じだったが、南朋さんや玉山鉄二さんへのインタビューで十分映画の内容を理解していらっしゃるのがわかったとのこと。

お話した時点では、AさんはまだTV放送をご覧になっていなかったので、報告を聞く都度「それは、放送してた」「そこは、全然放送しなかった!」と反応する私たち。


大森南朋さんについては、関根さんから身長178cmなんですよね?とか聞かれたら南朋さんがお隣の「浅野君と一緒です」とか言ったらしい。ただ、Aさんはコーフンしすぎだったのかさかんに「記憶に自信がない・・・」とおっしゃる(笑)

ので、南朋さん関係の新ネタはこれくらい???(Aさん、他にあったらコメント下さい!)


玉山鉄二さんについては、関根さんがあの劉一華の最初の記者会見の長台詞&長回しのエピソードを丁寧に説明したうえで、苦労話をインタビューしたとのこと。あと、劉君の最後のシーンは、特典映像に収められていたシーンもちゃんとご覧になっていて、「鷲津の留守電だけになっていて残念でしたね」みたいなこともおっしゃった。で、玉山鉄二さんが、「ぜひ、特典映像をご覧ください」って言ったとか。


この報告を聞きながら、そのシーンが撮影された常盤橋門跡公園や常磐橋を見下ろしているワタクシ。

むふふである。とうりゃんせの横断歩道もよく見えるし、映画のときに咲いていた梅も今満開。むふふ。


なので、TVで放送された部分を説明するとAさんは「それじゃあ、関根さんが誤解される!かわいそう!」ってことだった。

ま、時間的な制約や一般受けするような部分だけを選んで編集しなくてはならない苦労もあったのでしょうね。。。

Aさん、まだ他に思い出したらぜひ教えてください!