NHK大河ドラマ「龍馬伝」に「三菱」がブーイング(激怒?)
今日の帰宅中に電車内の吊り広告で見かけた。
週刊朝日だったので、公式HPをみると、ブーイングになっていたが、吊り広告は激怒だったような・・・あいまいな記憶なので違っていたらごめんなさい。
第1回の感想 で書いたことが的中したのか?
「濃すぎる。が、岩崎弥太郎というひとがそうだったのだろうか?とも思った。
一方、もし過剰演技&過剰演出なのだとしたら、三菱関連の方々は気を悪くしないのだろうか?と、またしてもあさっての方向の感想を持ってしまった。」
週刊誌を読んでいないので何とも言えないが、第3回なんて手形の偽造(死刑クラスの犯罪だ)はするし、お金もないのに龍馬に全面的に頼るし厚かましい事この上なかった。
でも、その必死さは哀しくもユーモラスであり、どこかのほほんとした龍馬との対比がドラマに幅を与えていたのだが、史実にどの程度基づいているのだろうか?
特に第3回は、江戸に向かう龍馬に無理やり付いてくる弥太郎によって、龍馬のよさが描かれていたので、役回りとはいえ、なんだか弥太郎がかわいそうになったりもした。
チンピラに絡まれへっぴり腰の弥太郎をかばい、見事な剣さばきを見せ喧嘩を収め、相手のメンツを気にかけ、刀を使ってしまったことを「わしは、人間ができちょらん。父上に申し訳が立たんぜよ。」と反省する龍馬。
かっこよすぎる。
一方、反省をしながら父上の書いてくれた心得を見る龍馬を、ものすごい嫉妬で見つめる弥太郎。その弥太郎の父も、弥太郎が欲しがっていた本を買って帰り、いなくなった息子を探しまわる。
そんなことは露ほども知らない弥太郎が、龍馬の心得をこっそり開いて見ていたところが悲しすぎる。
寝ていると思った龍馬は、さすが侍。穏やかに起き上がり、宝物だとその心得を引き取る。
そんなところも、かっこいいな。あんな感じでも、ちゃんと侍なんだって。
そんな龍馬に、弥太郎の父上も同じく子のことを大事に思ってくれているだろうと言われても、哀しいかな、弥太郎は龍馬の何もかもが許せないからな~んにも彼の心には届かない。
でも、龍馬は常に心を開いている。
そんな龍馬の気持ちは、弥太郎にも届いたのがわかって少し救われた気がした。
偽手形がばれたときの弥太郎の龍馬をかばっての嘘がよかった。さすが「わしほど頭のいい男はおらん」だけのことはある。
な~んて、すっかり普通のドラマとして見ている私。
そう、坂本龍馬に対する思い入れも先入観も期待もな~んにもないのでフラットに見ることができるのだ。
結局、今回も龍馬がどうのこうのよりも弥太郎とかその他の人々に感情移入してしまうし。
しか~し、やぱり半平太に関してはいろんなこと思っちゃう。。。
第2回の感想でこんなこと書いているけど、少し雲行きが違ってきた模様。
「いろんな意味で恵まれている龍馬との環境の差を受け入れているその葛藤が素敵!
それでも、高潔な人柄なのでちゃんとひがむことなく龍馬を認めて父上にも龍馬の秘めた可能性をお伝えしている。」
龍馬を江戸に送る言葉をかけている半平太はまだ高潔でいつもの半平太だ。
でも、道場で岡田以蔵を褒めるときにわざわざ龍馬を持ち出すところなんて、もうすでに「悪」半平太だ。
そのシーンに被るように始まるエレキギターによるBGM.
これって「悪」半平太のテーマなんじゃないかしらなんか黒い感じがするもの
←なぜ、はあと?
親を大事にするが故、龍馬よりも余ほど江戸行きの資格がある半平太が、江戸行きが叶わないその行き場のない気持ちを、橋に荷物をぶつけて表現するところって、まるで鷲津。
ぜったい、鷲津好きな方は、おんなじことを思ったはず。
大友さんの演出なのか、南朋さんの自然な演技なのか???
私は基本的に、怒りを物にぶつける人は嫌いだが、鷲津がキレてグラス投げたりガラス窓をたたいたりするのはOKなのだ。だってドラマだもん。(←わけわからんのぉ)
今回のテーマは、親子の愛情だったような。。。
とドラマのタイトルといつも全然違う見方をしてしまう私である。。。