本日14時ごろ、大好きな叔父が亡くなったという連絡が来ました。

母から電話。「はい」と出ると、母は泣いてて。

ああ、そうかぁ、と何も言わずも全てを理解しました。


来週、いとこ(叔父の娘)が結婚するという事で、私が入院中の叔父の元へ行ってzoomで会場とつないでリモートで参加させてあげようと計画をしていたんです。

それまで、待ってくれなかったなぁ。

いとこは、今更結婚式を辞めるわけには行かず、最愛の父を亡くしてどういう気持ちで結婚式を挙げるんだろう?



母から、叔父の手帳の写真が送られてきました。

14日に、私が来る、と書いてありました。

看護師さんやドクターにも、「姪(私)が来てくれて結婚式にリモートで出席させてもらう」と話していたとのこと。

楽しみにしてたんだろうなぁ。

娘の結婚式、見たかっただろうな。

右上には、なんて書いてあるんだろう?

最後の力で、何を書いたんだろう?


もう生きて病院を出る事ができないとドクターに言われていても、それでも心の準備なんてできなかったな。

大切な人が、またいなくなってしまった。

お葬式などは、来週にやるみたい。


私は、行かないです。

生きているうちに2回も会いに行ったし、話せたから。お葬式は、大事な儀式かもしれないけど、私には大事なことに思えません。

もう叔父は身体にはいないと思います。

どちらかと言ったら、そばにいてくれると思うんです。



ふと、思う時があります。

私は、自分の思い描いていた人生を、いまだに演じているんじゃないかと。

杏ちゃんがいた頃の家族写真が家の至る所に飾ってあって、それを見るたびにまるで他人の家族写真を見ているような錯覚を起こす時があります。

自分とはまったく無関係な人を見ているような気分。

私は、普段こんなネガティブな人間なんだけど、人にはそう思われないような人間を演じてるんだって思う時があります。

もちろん強がってるし、自分の大切なグリーフを他人に知られたくない、踏み躙られたくないと思う考えもあります。

でも、そうじゃないのかもしれない。

杏ちゃんのいる時の幸せな家族写真のような自分を演じているのかも、もしくは、演じずには自分を保てないのかもしれない、と思うのです。

私が本来こう生きたかった、という人生。

それを、手放す事ができません。


だから、私は今の人生をおまけ人生でいつ死んでも後悔はないと思っているし、生きる希望なんてありません。

惰性で生きています。

ただ、与えられているからそれを全うするだけ。

腑抜け人間のような感じ。


私は、杏ちゃんが死ぬ前の生活が自分の誇りだったし、人生で一番"良い時期"だった。

だから、その時の自分に戻りたい。

でも戻れなくて、過去に囚われて呪縛されている、いわゆる"過去の人"です。

地縛霊、でもありますね。


9月は杏ちゃんの誕生日です。

だから、こんなにいつにも増してネガティブな事考えるんだろうなぁ。