今朝はバタバタでした。
理由は長男の体調不良。
完全に精神的なものです。
長男は高機能広汎性発達障害で、アスペルガー傾向です。
ちょっと、長くなりますが長男の生育歴を書いてみたいと思います。
出産時には、特に問題もなく生まれました。
私と嫁は共働きでしたので、育児休暇後無認可の(のちに認可される)保育園というか託児所に預けてました。
そこは、園長先生の自宅の下の階でやっているようなアットホームなところで、先生方もとてもかわいがってくれて、一見順調に過ごしてしました。
当時、通常の保育園に入れるのの待機が長かったこともあり、結局ずっとその保育園に預けていました。
私たち夫婦の仕事もハードな時期で、泊り保育になることもしばしばでした。
園長先生は、わが子のように可愛がってくれました、
それに甘えていた私たちは、長男の成長をよく見ていませんでした。
ただ、休日に公園にいくと、必ずほかの子供ともめて、泣いてしまうので、子供の多いところに行くのが億劫だなとは思っていました。
近所づきあいは、わりと親密で、いそがしいときには、預かってもらったりしていました。
まあ、少し成長が遅い気がするとは、預かっていただいていた方(二児のお母さん)にも言われたことはありましたが、気にしていませんでした。
この頃は、長男にとっても幸せな時期だったようです。
ただ、5歳の時に嫁の母が寝たきりになり、現在の家へ引っ越さなければならなくなりました。
そして、長男は初めて、人数の多い幼稚園に通うことになりました。
ここで、長男は激変しました。
幼稚園に行きたがらない。
理由を聞くと、「みんなが自分のことを見ていて怖い」と。
夜に急にパニックになって泣き出すことも頻繁になりました。
それでも、その頃はなだめすかして、幼稚園へむりやり通わせていました。
私も、嫁も仕事に加え介護に忙しかったからです。
小学校に入って、学校の先生から、「全く宿題をやってこない」と指摘されました。
長男の連絡帳には毎日「宿題なし」と書いてあったので、全然気づきませんでした。
学童に入れていたので、放課後のことは相変わらず人任せでした。
ある日、学童の保護者から、うちの長男が学童でいじめられていることを聞かされました。
私は学童へ怒鳴り込みに行きました。
学童の先生は、うちの長男にも問題があることを言いましたが、私は効く耳もたず、とにかくクレームつけて帰ってきました。
そして、2年生になって、いろいろなことが爆発しはじめました。
そしてこの年、下の娘が生まれました。
そしてまず、頻繁なケンカ。
女の子の手のひらを鉛筆で突き刺す。
授業中じっとしていられない。
順番に並べない。
個人面談で、「お子さんには問題があります」とはっきり言われました。
毎日のように学校から電話が来て、嫁がノイローゼ気味になり、あるとき私は学校の担任と副校長にまたしても怒鳴り込みに行きました。
小学校2年生の時、私たち夫婦は、仕事の激務と、嫁の母親の介護、生まれたばかりの娘の世話と、本当にぎりぎりの生活だったのです。
家に帰ってきた長男は結局ほったらかしでゲーム三昧。
というか、もうこのころからゲームに逃避していたのかもしれません。
夏休みに、私の実家に行かせていたとき、障がい者施設での勤務経験のある姉に、絶対一度医者に診てもらったほうが良いと言われました。
しかし、私は無視しました。
2年生の2月に嫁の母が亡くなりました。
若干の遺産が入りました。
それで、さすがに疲れていた私たちは、とりあえず、嫁が仕事をやめて、家のことに専念することになりました。
3年生になると、学童はやめて普通に帰ってくるようになりました。
このころ、私も激務と介護の疲れ、娘の育児と長男の不安から、次第に変調が来ていました。
まず、眠れない。
異常な肩こり。
気分の沈み込み。
本はいろいろ読んでいたので、うつ病なんじゃないかとうすうす感じていました。
近所の子と遊んでいる姿を見ると、いつも泣かされている長男。
3年生になっても会話が一方的で、成立せず、学校のことは一切言わない長男。
で、呼吸が苦しくて寝れなくなって、会社に行ったものの、吐き気がひどくて、さすがに精神科に行きました。
で、うつ病の診断。
ちょうど8年前の6月のことでした。
しばらく休職することになり、その説明を長男にしました。
そのころ、長男は学力テストの算数で、学年1位をとりました。
それをからかわれたようです。
そうして1学期が終わりました。
夏休み、回復してきた私は、長男を連れていろいろな所へ行きました。
そうして、初めてじっくり長男と付き合うようになって、明らかに、これはおかしいと、やっと思い始めました。
下の娘は1歳でしたが、それがあまりにも長男の幼少時代と違うものだということもわかりました。
そして、ある日、本屋で目にした新書に、アスペルガー症候群のことが書いてありました。
そこに書かれているのはまさしく長男の姿。
嫁に相談し、療育医療センターへ行きました。
そして高機能広汎性発達障害、アスペルガー傾向の診断。
小3の2学期になると、長男は登校拒否をはじめました。
学校でいじめを受けていることを告白しました。
それから、私のうつ病は悪化の一途。
情緒級に代わりましたが、登校拒否は続きました。
わたしは、あきらめました。
すべて嫁に任せきりにしました。
その後も通級に行ったり、カウンセリングを受けたりしました。
私はその間、復職したり、休職したり、でもとにかく子育てにはまるでかかわりませんでした。
6年性の時、良い友達に巡り合えて、ちょっと通うことができるようになりました。
その友達とは今も仲が良いです。
中学は私立の発達障害の専門の学校に行かせようとしましたが、本人が嫌がって、結局公立の特別支援級に入りました。
しかし、このクラスは、かなり重度の子も多く、人数も結構多かったので、喧騒に耐えられない長男はまた登校拒否になります。
中2では先生方の支援を受けて、保健室登校ができるようになりました。
中3は、自ら選んで、普通級に入りました。
1学期はけっこう順調に行っていいました。
ともだちとも家を行き来したりで。少し落ち着いたかのように見えました。
夏休み明け、仲の良い友人とほかのクラスメートが喧嘩しているのを見て、急に不安感が増した(と本人が言っています)。
そして、連日の体調不良。
わたしと似ているのか、胃が痛くなったり、吐き気がしたり。
今日は長男と長く話をしました。
「席に座って、クラスメートが集まると頭が真っ白にになる。」
「とにかく朝は不安でしょうがない。」
「ちょっとからかわれたりすると、いじめにあっていた昔のことを思い出す。」
長男ももうすぐ15歳。
会話については、かなり普通になりました。
小さな子供には優しいです。
動物が大好きです。
整理、掃除も少しできるようになりました。
家ではよく手伝いもしてくれます。
社会不安障害でしょうか、人ごみは苦手です(私もです)。
PTSDでしょうか。
そういったことをまた、子供のメンタルの専門家に診てもらう時期です。
長男にもブログに、思ったことを書くことを勧めてみました。
とにかく、子育てから逃げていた8年間。
私も変わらなければいけません。