私は、高二で子供を産んだ。
幸いな事に通信制の高校に通っていた為
辞めることなく続け3年目になった頃
2人目を妊娠した
土日の早朝から0歳2歳を
母に預けるのが申し訳ないのと
レポートで時間を奪われるのに
嫌気がさしていた為、辞めた。
最終学歴が中卒になった
6年後 下の子が小学生になった頃
子供に手がかからなくなり考えた結果
5年働いていた営業職を続けながら
資格が取れる学校に通うことした。
2年目になり実習が始まるため
会社を退職。
その2ヶ月後に学校を辞めたのが
ちょうど二週間前である
この経験を得て、
大切な事に気づけたので
このブログに残しておこうと思う。
なぜ辞めたのかと言うと
理由は色々あるがたどり着いたのは
「子供を育てるのが人生の喜び」
と気づいた事だった
資格の勉強中は、徹夜で
早朝子供たちが寝てる時に
家を出る生活だった
一緒に宿題を見る時間
今日の出来事を聞く時間
習い事のサッカーを見に行く時間
夜寝る前のお喋りの時間は無い
家もだんだん散らかっていき
両立させる器用さを
持ち合わせていなかった
だけど、旦那の協力もあり
続けられていた。
通信制の高校を辞めたことにより
学歴にコンプレックスがあった事と
やりとげれない自分が
嫌だったのもある。
そんななか、
子供が高熱をだした
絶対に休めない環境だった為
病児保育を利用したり
祖母に預けていた
4日目になりまだ熱が続いていた頃
ママが居てあげれなくてごめんね
と伝えると、
子供が泣き出した。
我慢させてしまっていたと
気づいて、一緒に泣いた。
その日、電話で
学校に辞める事を伝えた。
お金も時間もかけていたので、
勿体ないと思う。
だけど、
手付金を払ったから
ここまで続けたのだから、など
時間をかけお金をかけた事に
執着してしまう
何か違うと気づいても
続けてしまう
その後悔が私は今までにあったので
今回も勿体ないと思ったが
それ以外に何も思わなかった為
辞めることにした。
そう自分を納得させたのかもしれない
直後は、ここまでしたのに
また辞めてしまった、と
自分の情けなさに
悲しく泣いていた
だが3日後には、
とても明るい気持ちになった
絶対に休めない環境や
家に持ち帰り時間を奪われる
環境には居られない、と
長い人生の中の
子供と過ごせるたった数年を大切にしたい
死ぬ前に思い出すのはその数年である
どこかへ行った旅行を
思い出すのではなく
日常を思い出すだろう。
子育てが終わったあとでも
したければ何でもできる
今でなくて良いと確信した。
辞めてからこの2週間は
以前と違い
とても日常が幸せに感じる
貴重な時間と感じる
子供といれる時間を大切にしたいと思う。
だが専業主婦は向いてないので
仕事は探す予定だ
私は母子家庭で母がいつも
仕事を楽しそうにしていた。
憧れている所もあるのかもしれない
仕事でも自分は何がしたいのか、
ずっと探しており
生きがいを求めていた所がある
だが今は子育てしやすい所
その条件を強く持っている為
良いところに出会うと自信がある
そうでなければ、辞める。
社会不適合者と言われれば
そうかもしれない
だけど、そうやって
自分に合うところを
探していこうと思う
私は、早くに子供を授かった為
早くに子育てが終わってしまう
下の子が大学卒業してもまだ41歳
前の私は、早く子育てを終わり
旦那と旅行に沢山行くのが
第2の人生だ、と考えていたが
今は3人目が欲しいと
思うようになった
旦那と子供を育てる
長い映画を2人でみているような
それに関われる喜びがある
今回の経験を得て気づいたのは
私の人生は、
子供を育てることに喜びを感じる。
という事だった。
これからも好奇心旺盛の為、
色々な事にチャレンジしていくと思う
だけど子供との時間を何より大切にする
という決意は得れて良かった。
私は、幸いな事に旦那がおり
収入が安定している為に
たどり着けた考えである。
私の母は、
シングルマザーだったが
やりがいのある仕事も
育児も両立しており
とても尊敬できる母だと改めて感じた
昔から母は、お酒を飲むとたまに
寂しい思いをさせてごめんね
と泣き出す所もある。
私にとっては、カッコイイ母であった。
親心は今になると少しわかる。
だが、当時寂しいと思ったことは無い。
結婚して家を出る時に母から
私が幼稚園の時に作った作品の
数々を貰ったが、後に捨てた。
別にいらなかった。
多分、その作品の思い出の持ち主は
母だったのだろうと今思う。
赤ちゃんの頃の記憶が
無いように
親の思い出である。
子供は思い出を沢山くれる
生まれた瞬間から親孝行を受けている。
3人目が授かれれば嬉しいな。と思う
だけど叶うのならば1番上の子を
また1から育てたいと良く考える
子育て失敗したとかでは無く、
当時17歳と若かった為
至らない所が多々あった
また、私も母のように
あの頃はごめんねの気持ちがあるのだろう
結論
諦めた資格により
大切なものは何か気づけた