感謝。
私、平成29年3月末をもって、消防団を退団しました。団本部にあがることも決まっており、昨年11月には消防団指導員研修も終え、「よし!4月からも地域のために努めるぞ!」と、今後も活動を続けていく意志でしたが、私事ですが、諸事情により退団を申し入れざるおえなくなってしまいました。退団決意の前日までは、退団の「た」の字も思っていなかったです。だから、急な決断でした。自分でも退団申し入れは、すごく辛く残念であり、でも決断するしかなく……しかも3月に入ってからのタイミングとなってしまい、多くの関係者に迷惑をかけてしまいました。幹部臨時会議でその旨を話し、御理解をいただき、退団となりました。私は平成15年、28歳のときに、今の住所の別宅に住んですぐに消防団勧誘があり、消防団の活動など何も知らず、「入団しますよ」と、入団しました。そのときの分団部の歓送迎会では、50人ぐらい参加たったかな?でも、知ってる人はほぼおらず、端の席でもくもくと、出された食事を食べてたのを覚えてます。まわりはワイワイ盛り上がるも、自分は誰にも話しかけられず、誰がどんな人かなんて知るよしもなく。入団した年の5月、鹿児島の父が亡くなり、葬儀や手続き関係を一通り済ませ、千葉に戻り、操法大会の訓練に顔を出したものの、勝手がわからず、いきなり出遅れ感を感じ、早くも居辛さを感じ、皆の中に溶け込む自信もなく、そのまま、あまり顔を出さなくなり、2年程かな?俗に言う、幽霊部員になってました。でも、この地域に住む以上は…と考えはじめ、顔ぐらいは出さないとと思い、すごく久し振りに詰所に行ったら、団員に温かく迎えていただき、頑張って行けそうと感じてから、消防団活動に励むようになりました。それ以降、平成19~20年度に班長を仰せつかり、市操法大会ポンプ車演技の部に1番員として出場。平成21~22年度には部長を拝命され、市操法大会ポンプ車演技の部に指揮者として出場し、みんな頑張りました。準優勝を獲得。平成22年には、袖ヶ浦、木更津、君津、富津の支部操法大会ポンプ車の部に、富津市代表の指揮者として出させていただき、優秀賞を獲ました。平成23~24年度には副分団長を拝命され、平成25~26年度には分団長を拝命されました。平成27~28年度も分団長に拝命され、平成27年は、当分団部の市操作大会優秀で沸き立つなか、指揮者(部長)の負傷により、急きょ、指揮者として再び袖ヶ浦での支部大会に出場。まさかの出場でしたが、会場も前回出場の場所…リベンジのつもりで挑みました。富津市代表の出場なので、プレッシャーを感じました。支部大会まで1ヶ月ない期間で、大会レベルまで自分にキレとツヤを出すのに努力しましたが、本当に苦労しました。訓練の最終段階で筋断裂してしまい、そのまま大会に出場し、ビッコを隠しきれなかったものの、優秀賞を得ることができました。筋断裂してなければ、最優秀賞獲て、県大会に出場できてたかもと、オレが皆の足引っ張っちゃったな~と、悔しい思いもしました。平成15年4月~平成29年3月の14年間、火災出動や、台風・地震・津波警戒、夜警、消防機械器具手入れ、各種講習、各種訓練、防災活動などなど、たくさんの経験をしました。そして何より、活動する中で、たくさんの出会いがありました。他県から来たよそ者…消防団に入団してなければ、多くの人と出会うこともなく、今頃は寂しく地域の片隅で暮らしていたかもしれません。自分は、消防団のおかげで、地域のためとは何かを学びました。会社にも、「地域には…」とありますが、なんとなく、それとは違う、本当の、地域のためとは…を、深く知ることができました。何かのために…誰かのために、何かを出来るか?14年間という期間は、全国的にみたら、短い期間かもしれませんが、消防署、消防団、そして地域の皆様には大変お世話になりました。今後、一市民として協力していきたいと思います。たくさんの方に支えられ、消防団を続けることができました。そして、今の自分があるのも、皆様に支えられたからです。感謝の気持ちで一杯です。本当にありがとうございました。