あと数日で臨月に入るので、管理入院をしています。
本来の予定日は11月あたまですが、予定帝王切開なのでもういよいよというところ。
二人目を妊娠する前は、
きっと妊娠したらしたで、トラウマや不安で押し潰されそうな毎日を送るんだろうと、そう思っていました。
ですが実際のところは、自分でもびっくりするほど穏やかな気持ちで進んでいった10ヶ月間だったと思います。
出産が不安だ、怖い という感情さえ、自分にとっては贅沢なもの。
もし今の私が再発リスクやトラウマに対して弱音ばかり吐いているとすれば、
まちがいなく1年前の私はそんな私を羨ましくも腹立たしく思い、ぶん殴りたくなるだろうと思います。
だって、たくさんの葛藤を乗り越えてきて、全て覚悟の上で自分で決めたこと。
辛いつわりでさえも、幸せに思えました。
いぶちゃんが生まれてからしばらくはずっと、二人目は諦めなきゃいけないんだと思い込んでいたから。
それまでの悲しく苦しい思いに比べると、
お腹に新しい命を宿しているうれしさや喜びの気持ちの方が遥かに大きくて。
それがどれだけの奇跡の連続の上にあり幸せな事なのか、充分すぎるほど知ってしまっているのです。
かといって、無事に健康な赤ちゃんが生まれてくるという想像も、全くもって出来ていません。
親ならば誰だって五体満足の健康な赤ちゃんを願うのだろうし、もちろん私もまぎれもなくその内の一人なのだけど、
いぶちゃんは自分で呼吸をすることも
手足や体を動かすことも
声を上げることも
にっこりと笑うことも
嚥下反応も全くない。
家族や深く関わってくれている人はいぶちゃんの感情を読み取る事ができるけど、
周りから見れば、ずっとずっと、ただ眠っているだけの子。
そんないぶちゃんに、これでもかというくらいの爆弾ダイナマイト級の愛を感じられているのだから
たとえお腹の赤ちゃんに病気や障がいが見つかったとしても、また同じように、きっと愛する事が出来ると信じている。
もちろん、最初は落ち込んだり悲しんだりしてしまうかもしれないけど…
だって、
自分で呼吸ができることって
手足や体が動くことって
声を出したりにっこりと笑えたり
お口からごっくん出来ることって
本当に奇跡のようなこと。
せめて呼吸器さえ無かったらなぁと願う私たちにとって、
健康そのものの赤ちゃんが生まれてきてくれることは、正直次元が違いすぎて本当にピンとこないというか何というか、
そんな贅沢すぎる幸せがあっていいのか…と
世間の “ 普通 ” はもはや普通でなく、
私たちの “ 普通 ” に、もう充分な幸せを見つけてしまっているんだなと気付かされました。
一つ願いが叶うなら
ただただ、産声を聞いてみたい。
どんなあなたでも愛する自信があるよ。
必ず幸せにするよ。
いぶ姉たんも、とっても楽しみにしているよ。