「いつだったか忘れたが、なじみの酒場で友人とボクシングの話をしていると、隣の席の若い女性が得意げに口を挟んだ。
「私、有名なボクサーを二人知っています。カシアス・クレイとモハメド・アリです。クレイはほら吹きで、アリはダンスが上手なのよね。蝶のように舞蜂のように刺すんでしょう。」と。
この二人にして一人の伝説のボクサーが6月3日逝去した。
74歳だった。
プロボクサーと公民権運動家としての顔を持ち合わせていたアリは、数々の偉業を成し遂げている。まさにザ・グレーテストである。
アリの死去は6月5日の新聞各紙の一面に大きく載ったが、1週間前にも”ゾウのはな子死ぬ”が同じように一面を埋めた。
はな子はメスのアジア像で昭和24年タイから上野動物園に贈られた。はな子は69歳の高齢で井之頭自然文化園で死去した。はな子は本やドラマに取り上げられ、人気を集め、子供たちに夢と希望を与えてくれた。
贈り主の息子は、日本ボクシングコミション公認のレフェリー、ウクリッド・サラサスであった。
ー筆者は早速サラサス氏に会った。はな子の死はタイ国にも報道されたそうだ。
贈り主のサラサスの父のソムワン氏はプミポン国王の従と結婚している王族である。ソムワン氏は親日家であり、戦前、10年間日本に住んでいたことがある。戦後は読売新聞の社主正力松太郎、講談社の社長野間清太、丸ビルの宮原武夫各氏らとの交流があり、諸氏等の協力で両国友好の証として、像は上野動物園の古賀園長に贈られた。像の運搬費用は全額野間氏が負担したそうだ。名前は一般から募集し、はな子になった。ー
息子ウクリッド青年は東京五輪の年に父の友人の野口ジムに入門。2年後の昭和41年から、キックボクシングがブームになり、ムエタイの経験を活かされキックのレフェリーにされてしまった。60年にキックボクシング界からやっと解放され、JBCプロボクシングの審判員のライセンスを取得し、今日にいたる。いままでに東洋タイトルマッチのレフェリーは102回。ジャッジは63回。一番印象に残った試合は大友厳VSグッシー・ナザロフ戦だという。
はな子の死を知った時は「父を思うと複雑でとても悲しかった。そして私と同じ74歳の尊敬するアリの逝去はショックだった。」と涙ぐんだ。
アリとはな子の冥福を祈る。」
(「ボクシング・ビート読者の指定席」より)
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