先週、我が家に初めてのお泊り客をお迎えしました。
それも同じものづくりに携わる作家さんで、被災地宮城から家族3人ではるばるやって来られました。
そして、hideと彼らを繋いでくれたのは、このうつわでした。
話しは昨年5月のフィールド オブ クラフト 倉敷 までさかのぼります。
その倉敷でこのうつわを注文してくれたのは、とてもセンスのよさそうな若いご夫婦で、一度会えばすごく印象に残る爽やかなお二人でした。
それもはるばる宮城からお越しと聞いてびっくり。
そしてお二方ともに作家で、旦那さんの渋谷丹さんは陶器、
奥様の陽子さんは石の判子をつくっておられるとのこと。
気に入ってもらったそのうつわは、小さい湯呑のようなものでしたが特に栃の杢に興味を持たれたようでした。
その時いい杢を持った木が工房にあることを記憶していたので、その木でお作りすることにしたのです。
その後メールで何度かやりとりをして、ちょっと遅い納品となったのですが、
秋にはその作品をお送り出来たのでした。
そして3月、 あの震災。
もう一度渋谷さんの住所を確認して愕然としました。。。
亘理町(わたりちょう)といえば、仙台空港の真南。
もしかしたら。。。と思うと怖くて途中まで掛けかけたケータイ電話もつい手を止めてしまいます。
それから1か月程経って偶然にも、渋谷さんの作家仲間の方のブログでご家族揃ってご無事であることを知ったのでした。
それからようやく勇気を出してケータイに電話してみると、とても元気なお声が返ってきました。
しかも、hideが連絡したことをとても喜んでくれました。
そしてその時、陽子さんが被災一か月後に出産されて子育ての環境等考え、
何と家族3人で奄美大島に移住される決意をなさっていたのでした。
そしてまさに先週の16日、車で移住先の奄美へ移動する途中の中国地方での宿として我が家へお越しになったのでした。
「ああ、あの時の爽やかなままだ」と一目見て感じました。
整ったばかりの工房を失った悲壮感は全く無く、
新天地での希望に胸を弾ませているご夫婦の強さに感心するばかりでした。
夕食から始まった話は当然深夜まで。
震災の事よりも、物づくりのことやら、音楽、食べ物などなど、たわいもない話しです。
でも、それがとても心地よかったんです。
そして翌朝、硬い握手を交わし、
またどこかのイベントで会おうと約束して彼らの旅立ちを見送りました。
今回の事は、倉敷でのクラフトフェアから始まったことで、うつわによって繋がったことでした。
見方を変えればだだの偶然ですが、必然のような縁を感じずにはいられません。
ちょっと不謹慎ですが、前向きな作り手の奄美での再起・奮闘ぶりを
楽しみつつ見守らせてもらおうと思います。
きっとこれから素敵な写真やその後の奄美生活の様子など、聞かせてくれることでしょう。
折に触れて紹介していきますので、彼らの奮起を見守って下さいませ!