久しぶり、本当に久しぶりの更新。

この間何をしていたかというと、

働いておりました。

 

後日少し書くかもしれないし、書かないかもしれないけれど、

色々なことを同時進行でやらなくてはいけなかった。

マルチタスクってやつは、大きなストレス要因になると言うけれど、ストレスにしみじみ浸る暇さえなかったよ。

そのマルチタスクの悲喜劇というものもあり、これもまた後日書ければと思う。

 

さて、それらがひと段落して、取りかかったのは豊嶋さんのコンサートの準備。

チラシとチケットは作っていたので、あとはパンフレットとちょっとしたお土産作り。

 

多分今回がひとつの区切りになりそうなので、ここまでは頑張らなくては。

 

パンフレットはこれまで作ってきた人への敬意をこめて、できるだけ同じように作る。

以前のパンフに使われていたイラストをどうやってとりこもうかと悩んだが、ある日あっけなく解決。


さて、次はお土産だ。

前回はコロナ禍で、ちょっと規制が緩んできたときだった。入場者の体温を測定したし、消毒液も沢山置いた。そんななかで演奏してくださった『ありがとうのコンサート』。

声出しができないので、『ブラボーうちわ』を作ったのだ。

豊嶋さんの愛犬ボストンテリアのイラストも入れた。とても喜んでくださり、今もリビングに飾ってあるとか。もちろん私達は、思い切りうちわを振った。


今回はクリアファイルにしようかと思っていた。パンフレットはA4用紙を二つ折りにするので、A5サイズでファイルを作り、中に収める。このコンサートの後はチケットホルダーに使えないかな?

 

還暦のお祝いも兼ねた会(ご本人に言わせると「なんで自分のお祝いに自分で弾くわけ?」)なので、ヴァイオリンと3匹のボストンテリア。天国に行った『ロク』と『くう』、そして今豊嶋家にいる『まる』に赤いリボンをつけて。(みんな同じ画像なんだけどね。)

作った図案を見せたら、会長さんが「これでまたうちわ作ろう!」とおっしゃった。

裏には大きなハートよ。その中に「おめでとう」って書くんよ。で、アンコールの後にみんなでそれを振る。どうね?

あ、それから、と会長さんが続ける。

そのうち10本にハートの中にサインをもらっておく。それを混ぜて配るんよ!

 

なるほど。暑いから、その場で使ってもらえるし、サプライズはあるし、良いですね。

で、何本作りましょう?

 

「とりあえず100本!!」

 



会長さんとの打ち合わせの最後に、思い切ってお願いをしてみた。

「私、『シンドラーのリスト』が聴きたいなあ。リクエストしたい。」

わかった、わかった、伝えておくねと会長さん。

昨年、セイジ・オザワ松本フェスティバルでは作曲家ジョン・ウィリアムズさん自らが指揮するプログラムがあったのだ。そのチケットだけは事前抽選制で、落選した。すごい競争率だったらしい。

結局、テレビで放映されたものを見た(にDVDが出た)のだが、そのとき『シンドラーのリスト』をソロで弾いたのが豊嶋さんだった。情感あふれる音色に涙が出た。

You Tubeでも見られる。

 

https://youtube.com/watch?v=rQIz8Calg9o&si=9s0XZRriI4Pl4Vaw


(YouTubeのはめ込みがうまくできませんでした。開けないときは『シンドラー サイトウキネン』で検索してみてください。)


これを見た(聴いた)ある友人が、「わたし聴きに行きたい」と言った。

フォーカシングの会で知り合った彼女は多くの人のいるところが苦手で、具合が悪くなる。これまでも何度か会合を直前にキャンセルしたり、途中で帰ったりしている。その彼女が「行けるなら、行きたい」と言ったのだ。「私、頑張る」と。

お弾きになるかどうかわからないよ、でも調子よかったらおいでよと私は言った。チケット作ったときにうまくカットできなくて、会長さんに納品していない分があるから、それを送るね。来れたらそのときにお代金ちょうだい。無理だったら、チケット代は発生しないからね。

 

しかしパンフレット作製のために送ってもらったリストの中に『シンドラー』はなかった。

 

あっと言う間に日が過ぎて、コンサート当日。

開演は14時。演奏者は11時入りで、リハーサル。

途中、「アンコール曲を終演直後に貼りだしたいので、教えていただけますか?」

とそのために準備した紙を見せた。

「・・・口で言うから、いいよ。」とぼそり。

わ、ご機嫌良くないのかもしれない。これ以上何も言えない。

リハーサル再開。『シンドラー』の調べはない。

彼女、来るかしら。シンドラーは諦めなきゃいけないなあ。


赤煉瓦ホールは、大きな階段がそのまま座席に使えるようになっている。天井が高く、音が良く響く。笑顔が可愛いピアニストさんは京都芸大の卒業生。前に出過ぎることなく、でもヴァイオリンの音色の隙間できらりと光り、共に歩み、疾走する。

 

開場。

彼女は、来た!

わーい、会えた。久しぶりだねーと近づく。

「嬉しい!わたしね、ここまで来れたのが一番嬉しいの!」

紅潮した頬の彼女を、思わずハグ。


本番。

還暦だからと、赤い(あずき色)スーツ、赤いネクタイの豊嶋さん。私は気づかなかったが、靴の踵の部分も赤いグラデーションが入っていたそうだ。

 

『聴く会』発足は2003年らしい。(私は2008年から参加。)今回集まった皆様を見ると、確かに年月は流れたのだなと思う。幾人もの方から、豊嶋さんの演奏との出会いとともに、何かの度に豊嶋さんの音色に支えられてきたことを聴いてきた。

私の場合は、たまたま演奏を聴いて、「えっ?!すごい!」と思い、もっと聴きたいと検索し、地元(当時は関西で働いていたけれど)北九州に『聴く会』があると知ってまた驚き、思い切ってお世話役の方にメールを送ったのが全ての始まり。

 

思い切って、飛び込んだ。

それまでの自分だったら、やらなかったことだ。

知らない人の中に、自分から入ってみた。

(それなりに気は遣ったけれど)楽しいではないか。

あれもやってみよう、これもやってみよう。ここに行ってみよう。挑戦してみよう。

変化のきっかけだったのだ。

ついには「弾けないで聴くより、弾けて聴いた方がより楽しくないかなあ」と練習まで始めてしまった。

夏の松本(サイトウキネン)、秋の京都(アルティ弦楽四重奏団)。行かなくちゃ、絶対に行く、行けるようになるのだ、だから治療も頑張る頑張れるという時期もあった。

 

あのとき腫瘍マーカーをオプションでつけていなかったら、腹水がたまってから異変に気づき、ようやく病院にいったかしらね。そしたら今日、ここに来れたかしら。

 

ああ、本当に色々あったなあ。

会に最初に参加した頃は、両親もこの世にいた。うるるもいた。

色々あったなあ。

ここに来ている人達にも多くの出来事と、多くの思い出があって、思いはそれぞれだけど、今はここに座って、しばらくの間一緒にいるんだなあ。

この後は別の生活に戻り、別の経験をするわけだけれど、今はここにいて、同じ演奏を聴いているんだなあ。

 

生かされて、いま、ここにいる。


『お祭り』の終わりは、寂しい。

この時間が愛おしい。

もうすぐ『祭り』は終わる。

 

「アンコールなんですけど、リクエストを頂きまして・・・」

えっ?!

 

Theme from“ Schindler’s List”

 

涙、涙のサプライズでした。