ギリシャ文明の奇蹟(1)

 

 

 古代ギリシャ人が「フィロソフィア」と言うとき、現代のフィロソフィー(哲学)を意味しない。フィロは愛求、ソフィアは叡知、叡知を愛して求める学問、愛知学を言う。自然科学、数学、哲学、音楽はその一分野である。紀元前六百年ころから発達したフィロソフィアが、現代に至るまで、科学の根幹をなしているとすれば、奇蹟と言うほかはない。
 直角三角形の直角を挟む二辺の二乗の和は、斜辺の二乗の和に等しい。ピタゴラスの定理という。液体中の物体は、その物体が押しのけた液体の重さと同じ大きさの浮力を得る。アルキメデスの原理という。私たちは、これらを学校で学ぶ幸運に恵まれている。ギリシャ文明の賜物である。
 愛知学者は、何でもかんでも神々のせいにすることに満足しなかった。彼らは、科学的に森羅万象の根源を探ろうとした。前六百年ころ、小アジアのミレトスにいたタレスは、万物の根源は水である、すべては水からなり水に帰る、と提唱して、世界最初の学派ミレトス派を創設した。別の学者は、空気を根源とし、また別の学者は、土、水、空気、火の四元素を根源とした。
 彼らは、森羅万象の根本原理を、理論的に発見しようとした。これは、現代の理論物理学者が定理、類推、計算によって中間子や素粒子の存在を予言し、後にその存在が実験によって証明されていることと、全く同じ次元の科学なのである。しかも、彼らの理論が正しいことが、二千数百年もの後になって証明されている。文明を衝突させ、破壊しようとする現代人は、愛知学者と比べていかに愚かな者であることか。
 たとえば、ミレトスのアナクシマンドロス(前五四六年ころ没)は、世界はユダヤ教徒の言うように神が創造されたのではなく、永久の運動があって、この過程で進化してできた、と考えた。このミレトス派の学者によれば、動物は湿り気のある元素が太陽の熱によって蒸発させられて発生し、進化しながら発達してきた。
 湿り気のある生命の元素、すなわちバクテリアが熱によってアメーバとか、ミトコンドリアのような原生生物に進化し、原生生物から動物や植物が進化したという理論は、現代になって立証されている。彼は、人間もほかのすべての動物も、魚類を祖先とし、これから派生し、進化した、と考えた。これは、いまだにアメリカのキリスト教原理主義者をいら立たせている進化論にほかならない。
 前三一〇―二三〇年ころ、サモス島の天文学者アリスタルコスは、地球を含む全惑星が太陽の周りを円運動し、地球は軸を中心として二十四時間かけて一回自転することを発見した。この地動説も後に、キリスト教会を大いに悩ませることになる。古代のギリシャには、ガリレオやダーウィンが生きていたのだ。
 哲学者は、苦悩に満ちあふれる人生をいかに生きるべきかについて瞑想し、その解答を得ようと献身した。人間の幸福とは何か。禁欲の人生に意義があるのか。快楽の追求は許されるのか。なぜ悪が栄え、善が滅ぶのか。正義とは、道徳とは。究極の卓越性としての最高善、魂の救済、すなわち霊魂不滅の成就を、人生の究極の目的とした。