外債という名のアヘン(8)

 イスマイルが一八六四年、短期債務の一部を返済する外債の発行に踏み切って以来、新たに短期資金を調達し、さらにこれを償却する有担保外債を発行するという歯車が機械的に回転し始めた。

 アメリカの内戦が終結、綿花の輸出収入が六四年のピーク七百万㍀から、五百四十万㍀(六五年)、五百万㍀(六六年)、四百万㍀(六七年)と急減し、短期流動債務の利払いが困難となり、歯車の回転に拍車をかけた。

 列強に強制された鉄道やスエズ運河建設のように、合理性に欠ける利権プロジェクトが乱立、進行している現状では、歳出を歳入の範囲内に抑制することもできなかった。もはや利払い不能に陥るのは時間の問題だった。

 一八七五年の後半、十二月一日に期日を迎える三百二十五万㍀の利払いが不能となる可能性が強まった。この時点で担保となっていない資産は、時価三百五十万㍀と推定されるスエズ運河会社の政府保有株しか残っていない。



アラジン3世のバイトルヒクマ(知恵の館)-開通当初の旅行者