外債という名のアヘン(7)

 そのころ、エジプトのヨーロッパ人には、共通の権力が及ばなかった。ホッブスがいうように、共通の権力がないところでは、私のものとあなたのものとの区別がつかなくなる。

 「共通の権力がないところには、法はなく、法がないところには、不正はない。強力と欺瞞は、戦争においてはふたつの主要な徳性である。正義と不正は、肉体または精神のいずれの能力にも属さない。もし、それらがそうであれば、この世のただひとりの人間にも、かれの感覚や情念と同様に、存在したであろう。それらは、孤独ではなく社会のなかにいる人びとに、関係する性質である。さらにまた、前述の状態の帰結として、そこには所有Proprietyも支配Dominionもなく、私のものとあなたのものとの区別もなくて、各人が獲得しうるものだけが、しかもかれがそれを保持しうるかぎり、かれのものなのである」(リヴァイアサン)
 六六年の額面三百万㍀、返済期間六年の案件で、当初オッペンハイムが提示した条件は、あまりにも法外だったため、イスマイルは契約を拒否した。再交渉で合意した条件は、金利七%、償却率八・五五パーセント、実質受取額二百六十万㍀で、鉄道収入を担保とした。

 これは決して当初の条件と比べて有利ではなかった。エジプトの国庫が現金で受け取ったのは、この半額だけである。残りの半分は鉄道用機械設備による現物決済で、しかもオッペンハイムは五%の手数料を上乗せしていた。

 イスマイルは、同意せざるを得なかった。拒否すれば損害賠償を請求され、外債を発行できないばかりか、賠償金が出ていくだけだからだ。

 アングロ・イジプシャン銀行が六六年に引き受けた十五年、額面三百三十九万㍀、王室領地からの収入を担保とする外債発行は、もっと法外だった。

 アングロ・イジプシャンは、ロンドンとパリで半額ずつ募集する計画だったが、プロシャ・オーストリア戦争による金融不安の影響で、百四十万㍀が売れ残った。

 この未消化分を仏クレディ・フォンセが九十万㍀で引き受けた。受取額は二百六十六万㍀に減額された。

 戦争によるエジプトへの信用不安の影響は外債の不利な発行条件に反映され、実質取分が減少するのはやむを得ない。また外債発行の失敗は引受会社の責任でもあり、その結果アングロ・イジプシャンの取り分が減少するのもやむを得ない。責任分担の原則である。

 ところがアングロ・イジプシャンは、予想された取り分と実際の取り分の差、つまり遺失利益を損害としてエジプト政府に賠償を請求した。アングロ・イジプシャンはフランスにも地盤を持ち、介入したのはフランス総領事だった。

 イスマイルは損害賠償金として現金五万㍀の支払い、総額十万㍀の純利益に相当する二年間の石炭購入契約の締結を強制された。計十五万㍀の損害賠償恐喝である。

 現代の価値判断基準を十九世紀の西洋に適用することはできない。それでもこれは、金融取引という定義に合致しない。悪徳商法の極みというほかはない。