外債という名のアヘン(5)

アレクサンドリアの歓楽街のほかに、エジプトの無法ぶりを示すもう一つの典型的な例が、アレクサンドリア港の税関である。

サイードが最初に募集した外債の担保となったのが、同港の関税収入だった。つまり国家権力が滞りなく、必要ならば懲罰をもって徴収できる関税は、最も信頼度の高い担保なのだ。

関税収入はこの外債の償却後、何度も担保とされたが、巨額の外債の担保になり得る信用能力を実は喪失していた。

治外法権を悪用した商人たちによる大規模な密輸が、堂々とまかり通っていた。一八三七年には、中国・広東でアヘン三万四千箱を密輸した商人たちである。

列強の砲艦外交を盾にしていた商人たちはそのころ、公然と密輸を商売の手段にしていた。いかなる戦争にも道徳的な口実などどこにもない。

それでも、アヘン戦争(一八四〇―四二年)ほど不道徳な戦争はないだろう。

林則徐によるアヘンの没収、焼却(一八三九年)に報復するため、イギリスは対中国侵略戦争を開始した。

女王陛下の政府は、アヘン密輸を国家戦略の手段としたのだ。

アラジン3世のバイトルヒクマ(知恵の館)-西洋人の街アレクサンドリア