トルコのくびき(6)

 イスマイルはトルコから自立し軍事的、外交的な裁量の自由を獲得しようとしたが、祖父のように肥沃な三日月地帯とエジプトに、アラブの王朝を樹立するという誇大妄想を抱いていた訳ではない。

 ヨーロッパの覇権は、すでにそれを不可能にしていた。植民地争奪で抗争していたイギリス、フランスの二大列強は、ロシアの南進政策を抑止するため、次第にぎこちない歩調を合わせるようになった。

 いずれは両国で分割することになるトルコ領のアラビア語圏が、さらに縮小することも容認できなかった。

 一九二〇年代、サウド家のアラビア王国が半島を突き抜け肥沃な三日月地帯に侵入するのを、イギリスは断固、阻止している。

 スエズ運河が開通したエジプトは、トルコの領土でもなく、イスマイルの領土でもなくなった。トルコから自立したエジプトは、スエズ運河の管理人となった。

 一八七三年末、トルコ政府は、イスタンブールの国際会議で取り決めた通航料を運河会社に強制するため、運河を占領するようイスマイルに命令した。

 トルコを動かしたのは、国際会議を主導した列強である。イスマイルは、トルコの命令に従うしかなかった。


スエズ運河の浚渫。

アラジン3世のバイトルヒクマ(知恵の館)-運河の浚渫(2)