〔友人の〕クローズさんは、彼のボートが滝で沈没し、半裸で一銭も持たずに岩の上に取り残されていたとき、四人の男たちがやって来て、何か必要なものはないかと申し入れてきた、と語っていました。

 昨年、私がイギリスに滞在していたとき、ウマルが召使として働いていたあるイギリス人は、ウマルが彼のために支払った代金7ポンドを借りたまま去ってしまいました。ウマルは商人に支払うだけの金を持っていて、ほかのヨーロッパ人が「イギリス人の恥さらし」と非難するのを恐れて、それを秘密にしていたのです。

 ウマルは家族にさえそれを黙っていました。幸いなことに、そのイギリス人がマルタから送金して、通訳のシェイクがそれを明らかにしたので、ウマルはお金を受け取りました。そうでなければ彼は、決してそれを口にしなかったでしょう。

 人を中傷しないことは、非常に道徳的な行いと考えられており、女性に配慮することも宗教的な義務と評価されています。ここではほかのどこよりも、寛容な夫が一般的なのです。このすべてはコーランに基づいており、常に「女は男のために造られた、しかし男は女のために造られた」、と引用されます。

 ゆえに、貞淑の義務は平等であり、男がそれを難しいと考えるのならば、彼らは女も同じことだと考えるのです。

 私は弁解の余地が全く無い女の不品行など、聞いたことがありません。夫が奴隷の女を所有しているとか、夫が老人かあるいは病気だとか、または彼女が夫を好きではなかったか、それともほかのしかたのない事情があるとか、我らの陪審員が言うように、「神罰によって」、乱暴な愛情が訪れるのでしょう。

 かわいそうな少年が、彼が召使として仕えたイギリス婦人の美しさと甘言のゆえに、カイロの精神病棟に収容されています。「彼にはしかたのなかったことなのです、神が災厄をもたらしたのですから」。

 踊り子であっても悔い改めれば、最も尊敬される男性が彼女と結婚できますし、実際に結婚します。誰も彼をとがめたり、馬鹿にしたりしません。

 道徳規範が完全に男女に平等に適用されていること、私たちの慣習を知っているアラブがヨーロッパ人は女性を厳しく扱うと言うこと、そして彼らは神を恐れることなく違反を隠すと言うことを聞いて、キリスト教徒がびっくり仰天することほど、理解するのが不可能なことはないのです。

 私は、正しい観念を持っているウマルに、もし彼の兄の妻が何か悪い行いをしているのを見たなら、彼女の夫にそれを知らせるか、と聞きました。(注意せよ、夫は彼女に耐えることができない)。「もちろんそんなことはしません。私は自分のマントで彼女を庇護しなければなりません」、と彼は答えました。

 言うまでもなく、いかなる不貞も邪悪であり「ハラーム」〔禁断〕ですが、それは男女に同等なことなのです。セリーム・アファンディーは、女性の無知と弱さを理由に、もっと放縦な傾向にあるようです。

 私はアラブについて言っていることを忘れないで下さい。トルコ人の考えは、ハリームの制度が違っているように、また違っているでしょう。そして、エジプトの慣習も、すべてのアラブに共通ではありません。
エジプトの踊り子。この画像は、http://timea.rice.edu/index.html  のコレクションに所属している。

アラジン3世のバイトルヒクマ(知恵の館)-踊り子