画像で辿る原理主義の源流(12)

 イスラームによれば、人間の生は神の計画である。1906年の同じ年、10月の同じ月に、双子のような二人の思想家を誕生させたのは、神の意志だったのだろうか。

 サイイド・クトゥブは9日、ナイル川中流の都市アシユートの南にある小村、ムーシャに生まれた。ハサン・アルバンナは14日、ナイル下流のデルタ地帯の小村、ムハマディーヤに生まれた。

 ハサンは、最強、最大のムスリム同胞団(イフワーン・ムスリムーン)を組織した創業者、サイイドは組織に魂を入れた精神的指導者となった。これを「神の配剤」と言わずして、なんと言えばよいのだろうか。

 しかも神は、二人を殉教者として主の御許に召された。ハサンは1949年2月、王制秘密警察の銃弾に倒れ、サイイドは1966年8月、軍事独裁政権によって絞首刑に処された。二人の殉教によってイスラーム原理主義の運動はイスラーム世界の潮流を支配するべく、運命付けられた。


写真上、シリア独立直後(1946年ころ)ジャミール・マルダム外相と会談したハサン(中央右)。

写真下、サイイド(前列左)と同胞団員の裁判(1965年)ころ。


アラジン3世のバイトル・ヒクマ(知恵の館)-エジプト地図




















アラジン3世のバイトル・ヒクマ(知恵の館)-シリア外相と会談するバンナ















アラジン3世のバイトル・ヒクマ(知恵の館)-クトゥブの裁判