世界聖戦

 イスラームは、イスラームの原則を無条件に支持する。イスラームは、たとえ相手が裏切っても、裏切りを禁止し、敵対行為あるいは戦争を始める前に、必ずそれを布告する。誓約を破棄するとき、破棄を公式に宣言し、安全あるいは休戦の協定が効力を持つとき、欺瞞行為は絶対に承認されない。神は言われる。

 「汝が誰かの裏切りを恐れるならば、汝の方から誓約を破棄してやれ。神は裏切り者を愛し給わない」(8章58節)。

 「戦争はだましあいである」、という預言者のスンナを誤解する人がいるかも知れない。戦術は戦争では許され、欺瞞行為と混同してはならない。宣戦が布告されると軍事作戦が立案され、敵は相手の裏をかこうとする。策略は戦術の一部である。ただし、このような行動様式は、平和時には許されない。

 預言者は戦争のとき、ほかの地点を偽装攻撃して敵を驚かせ、急襲作戦を成功させた。しかしこれは戦闘行動であって、平和的な部族や協定を結んでいた部族に対しては実行されなかった。

 イスラームは、裏切りと屈辱のない名誉を保全する。敵の多神教徒に保護が与えられれば、彼は敵対行動から免れる。イスラームは、敵の殲滅を奨励しない。イスラームは敵の開明と指導を奨励し、そのようなイスラームは亡命を求める弱者を傷つけるようなことはしない。神は言われる。

 「もし多神教徒の中で誰かが汝に保護を求めたならば、神の御言葉が聞けるように保護してやれ。そして安全な場所に送り届けてやれ」(9章6節)。

 敵がそう望むのであれば、彼は保護と安全を求める権利を持つ。これはイスラームだけに見いだされる行動規準である。

 イスラームの国際的なルールは、外交使節と交渉当事者の安全と免責を含む。ムサイリマ※は預言者と交渉するためにイブヌル・ナワジャとイブン・アタルを使節として派遣した。使徒は彼らに、「汝らは私が神の使徒であると認めるか」、と聞いた。彼らは、「我らはムサイリマが神の使徒であると認める」と答えた。ムハンマドは、「私は真実、神と神の使徒を信じる。もし私が使節を殺すことが正しいと考えたならば、汝ら二人とも殺したであろう」、と言った。

 イスラームは高利、独占、搾取を禁止し、それによって利潤を動機とする戦争の原因をすべて排除した。このため、唯一の理由を除いて、宣戦を布告する理由はすべて無効になる。その唯一の理由とは、神の言葉を保持し、人間の平等を確立するため、神の大義のために奮闘することである。

 これこそが人道的な戦争であり、この戦争はいかなることがあっても、無実、無力な人びとを巻き込んではならず、人類を脅かす危険を封じ込めるために、本来の目的の限界を超えて拡大してはならない。

 ラバーハ・イブン・ラビーア(教友)は、使徒の作戦に同行したとき、彼らは殺害された婦人を発見した、と語った。使徒は婦人のそばに立って、「彼女を殺してはいけない」、と言った。それから彼は教友の一人に向かって、「ハーリド・イブヌル・ワリード※のところに行って、子供、雇われた男、女を殺してはならないと命じよ」、と指示した。

 ある戦いの後、使徒は子供が何人か殺されたとの知らせを受けた。彼はそれを非常に嘆いた。そこにいた教友の一人が、「どうしてそんなに悲しんでいるいるのでしょうか、神の使徒よ、彼らは多神教徒の子供ではありませんか」、と聞いた。

 使徒はそれを聞いて非常に憤り、「子供はお前よりも優れている。彼らはまだ自然のように純真無垢である。そしてお前、お前も多神教徒の息子ではないのか。子供を絶対に殺してはならない」、と語った。

 アブー・バクルを典拠としてマーリクが伝えるところによれば、使徒は、「汝らは人間を犠牲として神に捧げる人々に遭遇するであろう。彼らには彼らのしたいようにさせ、そして女、子供、老人を殺してはならない」、と語られた。

 使徒は兵士の一人に、「樹木を切り倒すな。住人の住居を破壊するな」、と命令した。

 ザイド・イブン・ワハブは、「我らはウマルから、『手足を切断するな、だますな、子供を殺すな、そして農民の中に神を畏れよ』、と指令する手紙を受け取った」、と伝えている。ウマルはまた、「老人、女、子供を殺すな、そして二つの軍勢が対決し、汝らが攻撃するとき、彼らを殺してはならない」、と指令した。

 このイスラームの、戦争と平和の法の頂点から、我われが世界にはびこっている見下げ果てた現状を観察するとき、我われは神が神の民のために処方した体系と、人造の体系の間にある、重大な違いを認識するであろう。

 我われはまた、聖なる体系を無視し、人間が人間のために願望することは、神が人間のために願望することよりよいことだと装うことによって、我われが失ったものを発見するであろう。

 人類は、人間を正義、規律、平和に導くイスラームの体系に従わない限り、不正で欺瞞的な無神論者の手によってさらに悪化する困難に苦しむであろう。(完)


※アラビアの中央部ヤマーマ地方にいたハニーファ族の宗教指導者で、神の使徒、預言者を自称した。マッカの多神教徒は、ムハンマドはムサイリマをまねている、といってムスリムを迫害した。ムハンマドと勢力を二分しようとして使節を派遣した。預言者が世を去ると、ムスリムに対抗したが、初代カリフ・アブー・バクルによって633年、掃討された。

※「神の剣」、「イスラームの剣」と称賛された、イスラーム初期の征服者。最初はムスリムを激しく迫害していたが、629年マディーナに来て改宗した。