安全の保証

 安全のないところに、平和はあり得ない。社会はその成員が安全と感じるときに初めて有効に機能することから、健全な人びとは皆、社会に安全を確立することを望んでいる。しかしながら、社会の安全を保証する聖法・イスラーム法が良き市民と良き社会のために定められているにもかかわらず、聖法を拒絶する人々がいる。

 良き市民は、イスラーム法違反に科される刑罰は、正義に基づく法の権威を執行することであると認識している。刑罰がいかに過酷であろうとも、神の法は罪悪と腐敗の影響から公共の利益を保証するため、いかなる偏見からも自由である。

 これらの保証の第一は、生命の保全である。「法と正義によらずして、神が神聖となされた命を奪ってはならない」(17章33節)。すべての人類にこの保証が守られる。一人の殺人は、神聖で不可侵な生きる権利の侵害であるから、人類の殺害に等しい犯罪である。神はこの根本原理を、主のすべての宗教※に盛り込まれた。

 「それゆえわれらは、イスラエルの子らに掟を定めた。人を殺めたとか、地上で悪事を働いたとか、正当な理由がないのに、一人の人間を殺すことは、全人類を殺害することに等しい。また一人の人間の命を救うことは全人類の命を救うに等しい」(5章32節)。

 「もし故意に信仰者を殺す者がいれば、その報いは地獄であり、そこに永遠にとどまる。神は殺人者を怒り、呪い、恐ろしい懲罰が待ち受けている」(4章93節)。

 そのような保証は、人間の自由裁量に任されないし、単なる呪いの脅迫にとどまらない。神は故意の殺人に復讐を許されて、これらの保証を明確にされている。殺人に対し、正義は殺人者の命を要求し、傷害には同等の傷害を要求する。

 「おお、汝ら信仰する人びとよ、この返応報法に汝らの命の救いがある。おお、思慮ある人びとよ、汝らは自分自身を抑止するであろう」(2章179節)。

 「われらはあの中で、『命には命、目には目、鼻には鼻、耳には耳、歯に歯、傷害には同等の傷害を』、と定めておいた」(5章45節)。

 「正当な理由がない限り、神が神聖とされた命を奪ってはならない。もし誰かが不正に殺されたならば、われらは相続人に権利を認めておいた。しかし、命を奪うことで限度を超えてはいけない。彼には必ずご加護があろう」(17章33節)。

 「過失でない限り、信仰者は絶対に信仰者を殺してはならない。もし過って殺したならば、信仰ある奴隷を一人解放し、被害者の家族に血の代償金を支払え。もし彼らがそれを免除するのであれば、支払わなくてもよい。被害者が敵であり、かつ信仰者である場合は、信仰ある奴隷を一人解放すればよい。被害者が協定を結んだ同盟者であるならば、家族に血の代償金を支払い、信仰ある奴隷を一人解放せよ。これらの手段を持っていなければ、神にお赦しを願って二ヶ月間、断食をせよ。神はすべての知識と知恵をもっておられる」(4章92節)。

 使徒は、「奴隷を殺す者がいれば、我らが彼を殺してしまおう。奴隷の鼻を切り落とす者がいれば、我らが彼の鼻を切り落とそう」、と言われた。

 生命の保証の次にくる保証は、名誉と財産の保全である。預言者は、「ムスリムの血、名誉、財産は不可侵である」、と語られた。名誉の保全は、姦淫、密通、またその中傷の刑罰に示唆されている。

 「不義、密通を犯した女と男は、それぞれ百回、鞭で打て。神と終末の日を信じるならば、神が定められた問題で、彼らに同情するな。そして信仰者の一団を刑罰に立ち合わせよ」(24章2節)。

 「貞淑な婦人を中傷しながら、4人の証人をそろえることができない者は、八十回、鞭打て。そしてそれ以後、彼らの証言を受け入れるな。そのような者は、邪悪な逸脱者であるからだ」(24章4節)。

 正当に取得した財産の保全は、理由のない窃盗に対する刑罰に示唆されている。「盗人は、男であろうと女であろうと、両手を切断せよ。彼らの罪に対する、見せしめの神罰として。神の力は限りなく強い」(4章38節)。


※イスラームでは、一神教のユダヤ教、キリスト教を、同じ唯一神の宗教と考える。