イスラームによる平和の概念


 平和の模様は、宇宙、生命、人間の概念とともに、イスラームの教え全体に編みこまれている。あらゆるイスラームの体系、原理、立法、儀礼はこの根本的な概念に基づいて築かれている。残念なことに、多数のイスラーム学徒は、この信仰の根源を深く掘り下げ、その原点から関連を探求するごく少数の人を除いて、この事実を理解していない。

 私はここで、宇宙と人間に関するイスラームの包括的な哲学について議論するつもりはないし、また私の著書、『イスラームの社会正義』で述べたことを、繰り返すつもりもない。しかしながら、イスラームの信仰のすべての分野が密接に関連しているように、この宗教のいかなる部門の研究も、包括的な理論の研究を必要とする。

 これが、イスラームが生活の問題に断片的に取り組まない理由であり、イスラームは、一つひとつの個別の問題を解決する、それぞれ独立した原則を確立しない。イスラームは、この包括的な理論から、ほかのすべての問題が派生する基軸を形成する。

 こうして、さまざまな問題が密接に、あるいは緩やかに関連しており、この複雑な複合体が、統一的な宗教観を構成する。

 とりわけ、イスラームによる平和の概念は、イスラームにとり根本的な関心事であり、この包括的な理論の総合的な研究を必要とする。そこで、本題に入る前に、この理論を再検討してみよう。

 イスラームは、この無限大の宇宙の中で統一体の宗教であり、統一体は、一粒の粒子から、複雑な生命をもつ最も発達した種まで、すべての要素で構成する。それは、無生物、植物、動物、人間、ほかあらゆる存在の統一体である。

 宇宙のあらゆる活動は、惑星の回転であろうと、人間の心の働きであろうと、この統一体に包含され、統合されている。イスラームは、永遠の法に従っている惑星の中だけでなく、知識を獲得し正義を執行する本能に応答している魂の中でも、統一を見出す。

 必要性を求める肉体的な奮闘であろうと、喜びを求める精神的な熱望であろうと、そこにはすべてのエネルギーの統一が存在する。すべての生命体、すべての種、すべての世代が統一されている。すなわち、すべてが存在によって統合されているのである。