歴史は、人間の活動の全領域で導きを提供する能力において、イスラームが比類のない力をもつことを証明している。民衆と皇帝に所属しているように見えるものも、実際は神の所有であるから、イスラームは聖と俗を区別しない。

 イスラームは、精神と肉体を駆使するように個人を奮い立たせ、儀礼をもって行動を律する規準の代用としない。イスラームは個人に迎合したり、個人の社会的役割を無視したりしない。イスラームは、個人の政治的役割を妨害して個人の私的生活に介入しないし、国と国との関係を無視したりもしない。

 イスラームは包括的であり、毛細血管と神経が人体にくまなく張り巡らされているように、生活のすべての分野を統括する。

 我が国では、ほかのムスリム諸国のように、我われはさまざまな問題や障害に直面している。国内ではこれらの問題は社会的、経済的、道徳的な形態をとり、対外的には国際紛争として表面化している。

 しかし、これらの問題に対処しようとするとき、我われにはエネルギー、展望、導き、目標が無い。実際、我われは、我らの力を結集する助けとなる信仰を、絶望的なまでに必要としている。

 我われは、我われの生活とその問題に対処する統一的なエネルギー、我われの外敵、内なる敵に対決する我らの力を結集するイデオロギーを必要としている。

 無知と堕落が、とりわけ社会的、国際的な問題で、我らに解決策をもたらすことができる、我われの比類のない宗教に対して、疑いの念を抱かせた。

 いくつかの社会学の書物が書かれ、現代の諸問題に対する実際的な解決策を明らかにしている。イスラームの社会正義が、ほかのイデオロギーよりもはるかに包括的で完全であることは、ほとんどの社会正義の唱道者が認めていることである。

 しかしながら、イスラームの見解を解説することに深い関心を示している国際政治の書物は、ほとんど出版されていない。人類が世界平和の問題に重大な関心を抱いている今こそ、イスラームはこの問題で建設的な見解をもっているのか、イスラームが提供する解決策とは何なのかが、問われるべきである。

 本書は、この問題について詳細に答えることを目的としている。