健全な人間の個性は、本質的に首尾一貫した統一性である。したがってそれは、活動を指令し、行為と感情を刺激して、すべての世俗の問題で人間を導く、首尾一貫した信仰を必要とする。

 信仰は、人間のエネルギーと能力の中枢であるがために、すべての人間にとって重要である。不安にとりつかれたり、混乱した個性の原因となる精神的な分裂状態を防ぐため、信仰と人間の行動する能力との関係は、堅固であらねばならない。

 この中枢が強固であればあるほど、個人の個性の異なる部分がより堅固に統一される。そして個人は、首尾一貫し啓蒙された態度で行動することが可能となる。

 明らかに、人間のすべての活動を統括する宗教は、人間の活動の一部だけにかかわる宗教よりも望ましいし、より完全である。また個人にとって、一つの宗教をもち、それに固執する方が、より有利かつ便利であり、個人は日常生活のさまざまな活動に制約されることなく、個性を統一することができる。

 社会活動、経済関係、国際関係に対処しない信仰は、心の信仰、道徳、行いについて考察しない社会理論が間違っているのと同じように間違いである。そのような社会理論は、人間を完全に導くことができず、また人類に一貫性、あるいは調和を達成することができない、成功する見込みのない試みである。

 個人も社会も、すべての死活的な活動に適応し、建設と発展に導く信仰を、絶望的なまでに必要としている。個人と社会がそのような信仰を受け入れ、生活に適用するとき、人類は、人間の個性の可能性を唯一の方向に向ける不滅の力に人間が合一するときにのみ起こり得る、あたかも奇蹟のような偉業を達成することができる。


獄中のサイイド・クトゥブ
アラジン3世のバイトル・ヒクマ(知恵の館)-獄中のクトゥブ