個性的な湯呑みで自己表現するという恍惚
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遺伝や親の育て方や、環境、さらには性格を今自分がこんなふうになっているということの原因に見せかけているということはよくある。そのようにすればあることを原因として今の症状を説明することができる。何か大きな自然災害、あるいは事件があるとトラウマやPTSDという言葉が使われる。そのような災害、事故、事件に遭遇することで心が傷つけられるために起こる、と考えられている。人はトラウマを受け、そのために、強い抑うつ、不安、不眠、悪夢、恐怖、無力感、戦傑などの症状が生じるというわけである。何かしらの影響を受けないということはないかもしれない。しかし、ある出来事によって人が誰もが同じ影響を受けると考えることは、人が外界からの刺激に反応するものにすぎない、と考えることである。アドラーは、トラウマは必ずしもトラウマである必要はなく、いかなる経験もそれ自身では、成功の、あるいは、失敗の原因ではない、人は経験によって決定されるのではなく、経験に与えた意味によって自分を決めている、と考えている。


劣等コンプレックスを告白したまさにその瞬間に、生活における困難や、状況の原因となっている他の事情をほのめかす。親や家族のこと、十分教育を受けていないということ、あるいは何らかの事故、妨害、抑圧などについて語るかもしれない。劣等コンプレックスは、しばしば、それの補償である優越コンプレックスによって隠されている。このような人は、倣慢で、無礼で、うぬぼれが強く、自分の地位を鼻にかけている。行動よりも、外見に重きを置く。このようなタイプの人は、優越性を追求し始めた頃、場おくれをした。これが後になって失敗した時いつも使われることになる。彼は、もしも場おくれさえしなければ、何でもできるのに、という。このような、もしも、で始まる文は、通常、劣等コンプレックスを隠しているのである。劣等コンプレックスは、また、ずるさ、用心深き、知ったかぶり、大きな人生の課題に背を向けること、多くの原則と規則によって行動を狭い範囲に限ることにも示される。いつも杖にもたれかかる人がいれば、そのことも劣等感の表れである。このような人は自分を信じていない。