当たり前のことが当たり前にできないのって辛い。みんなが大学に行って、授業に出て、課題をこなして、友達と話して、バイトして、、、


私からすればみんなが頑張りすぎなんだけど、どうやら私にとっての頑張りすぎは世間にとっての普通らしい。嫌になっちゃう。


週5で1日8時間働ける人は本当にすごいと思う。1日、100分の授業一コマしか入ってなくてもどうしても行けない日がある。体がいうことを聞いてくれない。どうしても動かない。どうしても起きれない。どうしてどうしてって思うたびに涙が溢れる。


自分は限界まで頑張っても、多くの人ができることの6割もできない星に生まれてきてしまったらしい。



いっそ病気ならいいのにと思ってしまう。だって病気だったら頑張れなくても、大学に週2日しか行けなくても、バイトできなくても、仕方ないって思える。ただの甘えじゃないんだって。


でもただの気質ならそれはどうしたらいいの。周りから見たらただの怠惰にしか見えないでしょう。



自分が辛いんだって目に見える形にしたくて、太ももをカミソリで切る。その血を見ると、傷跡をみると、ほっとする。自分って辛いんだって、そのことを肯定してもらえたような気分になる。分厚くなる吐きダコも似たようなもんだ。



よく他人には、色んな選択肢がある、とか、無理しなくていい、とか、人と比べる必要なんてない、とか、本当によく頑張ってる、とか言ってあげられるんだから、自分にも同じように接してあげてと言われる。自分も同じように大切にしてと。



でもそれって他人事だから言えることじゃないの。他人だからそれがどう転んでも自分には影響ないから、そう言えるんじゃん。



自分に同じようにできないのは自分の人生だからじゃん。



無理しないで、頑張ってるよ、より



私が頑張らなくて生きていけるだけのお金が欲しい。


環境が変われば、時間が経てば、人が当たり前にできることができない苦しさは減るんだと思ってた。だから中高一貫校をわざわざ出て高校受験して、その高校にも泣きながら通って、次の通信制高校も友達作ろう、勉強しようって頑張って、学校の先生によく怒られて、泣きながらも大学受験の勉強した。で第1希望の学校に合格した。



でも今死にたいよ。環境が変わっても気持ちは何も変わらない。




色んな人間がいるのは、価値観が変わったり環境が変わったりしても生き残るためだという。



この世界がどう変わったら私みたいな人間が生き残るのだろう。


もしかしたら自殺する人も種の存続のために必要なわけ。


それなら私は本当に不運な役割に生まれてきてしまったんだね。


何が言いたいのか分からなくなった。おやすみ。