超~久々です(>_<)誰が見るんだ(笑)

ふと思ったことを、備忘のため。



「1+1=2」は、絶対の真、というか、「1+1=3」なんてことは、そもそも人間の認識の枠組みではないので、思考できない(カントだったっけ)。
数字は「真・偽」の価値範疇にある。



とすると、では、それ以外のものは?

「信・不信」の価値範疇に入る、とすれば、乱暴すぎでしょうか。

例えば他人の心なんてものは、覗き込めるわけではないし、実は本当はわからない。「真・偽」を問えるものではなく、そこにあるのは「信・不信」ではないだろうか?
「あの人は誠実な人だ」というのは、「あの人は誠実な人だ、と信じている」ということであり、本当は「真・偽」など問えない。

信、信仰。「信仰とは跳躍だ」って、だれか言ってたような。。

すみません、全然熟してないですが、記録として。。



最近考えていた仕事の提案が、「観念的で説得力に今一歩欠けるなあ、やっぱり数字がほしいなあ」なんて考えてたら、上のようなことをふと思いました。




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人はどんなときであっても、自分の「生きざま」を誇れるのだとわかった。

(中略)

低調なときに、自分自身を誇りにおもうことはむずかしい。(中略)だけど、それでも、病気の人も周囲の人も、そのことを誇っていいのだと思う。そういう世の中にしたいから、僕は病気になった自分自身を誇りに思う。
病気を闘っているみなさんも、その病気を誇りに思ってください。



【『その後のツレがうつになりまして。』 細川貂々 より抜粋】





夫がうつ病になった夫婦の、戦いの日々の記録。これはツレさん(夫)によるあとがき。

どんな時でも、「自分は素晴らしい!!」て感じられることが、どれだけすごいことか。
「負けに負けない自分」とはこういう自分なのではないでしょうか。
むずかしいけど、だからこそ。


ツレさんの言葉、自分の根本の思想として、在りたいと思います。だから第一回目の記事に引用させていただきました。迷ったとき、立ち返る場所として。




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主に

・読んだ本の抜粋、備忘のため
・ライブの告知

あといろいろ予定・・・



タイトルは、 The flaming lipsの「Do you realize」の歌詞、「君は誰よりも美しい顔をしている」を受けて。

「君」とは、文字通り君に対してであり、そして自分自身に対してでもあります。
自分を褒める、自分を許す、自分を受け入れる。




よろしくお願い致します!!



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