超~久々です(>_<)誰が見るんだ(笑)
ふと思ったことを、備忘のため。
「1+1=2」は、絶対の真、というか、「1+1=3」なんてことは、そもそも人間の認識の枠組みではないので、思考できない(カントだったっけ)。
数字は「真・偽」の価値範疇にある。
とすると、では、それ以外のものは?
「信・不信」の価値範疇に入る、とすれば、乱暴すぎでしょうか。
例えば他人の心なんてものは、覗き込めるわけではないし、実は本当はわからない。「真・偽」を問えるものではなく、そこにあるのは「信・不信」ではないだろうか?
「あの人は誠実な人だ」というのは、「あの人は誠実な人だ、と信じている」ということであり、本当は「真・偽」など問えない。
信、信仰。「信仰とは跳躍だ」って、だれか言ってたような。。
すみません、全然熟してないですが、記録として。。
最近考えていた仕事の提案が、「観念的で説得力に今一歩欠けるなあ、やっぱり数字がほしいなあ」なんて考えてたら、上のようなことをふと思いました。
Android携帯からの投稿
ふと思ったことを、備忘のため。
「1+1=2」は、絶対の真、というか、「1+1=3」なんてことは、そもそも人間の認識の枠組みではないので、思考できない(カントだったっけ)。
数字は「真・偽」の価値範疇にある。
とすると、では、それ以外のものは?
「信・不信」の価値範疇に入る、とすれば、乱暴すぎでしょうか。
例えば他人の心なんてものは、覗き込めるわけではないし、実は本当はわからない。「真・偽」を問えるものではなく、そこにあるのは「信・不信」ではないだろうか?
「あの人は誠実な人だ」というのは、「あの人は誠実な人だ、と信じている」ということであり、本当は「真・偽」など問えない。
信、信仰。「信仰とは跳躍だ」って、だれか言ってたような。。
すみません、全然熟してないですが、記録として。。
最近考えていた仕事の提案が、「観念的で説得力に今一歩欠けるなあ、やっぱり数字がほしいなあ」なんて考えてたら、上のようなことをふと思いました。
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