この歳になると、
「ちゃんと生きてるかどうか」を
“社会的な形”で測られることが多い。
仕事してる?
結婚してる?
貯金してる?
持ち家?
子ども?
でも、それが全部「ある」人が
心のどこかで、
“何もない”って感じてることもある。
僕は今、空港ラウンジを拠点にしてる。
定住せずに、仕事はクラウド。
寝る場所も、タイミングも、決まっていない日がある。
昔の上司がこの生活を知ったら、
きっと言うだろう。
「それ、本当にちゃんと生きてるのか?」
でも聞きたいのはこっちのほうだ。
“ちゃんと生きてる”って、誰が決めたんですか?
会社で数字を出しても、
家庭で役割をこなしても、
どこかで「自分」が抜けてる感じがしてた。
それで“形”を全部手放してみた。
怖くなかったかって?
めちゃくちゃ怖かったよ。
でも不思議なことに、
「何者でもない自分」でいるときが
一番息がしやすかった。
人生には、「定義できない時間」が必要だと思う。
肩書きのない日。
誰からも求められてない時間。
旅でもない、出張でもない。
“ただ居るだけの場所”が、自分を守ってくれることがある。
誰かの“正解”から離れて、
自分の“平穏”に戻る。
それが今の僕の「ちゃんと」だ。