私もみんなみたいに誰かに愛されたかった人生だった。
物心ついた時から、なんとなく生きづらさを感じて生きてきた。今でも思い出せるのが、初めて幼稚園に通う日のことだ。幼稚園の送迎バスが来た。私は、先生に挨拶をして淡々とバスの中に入って空いている席を探した。そこで驚いたのが、何人かの子が「まま…!」って泣きながら座っていたこと。驚いた。たった少しの間離れるだけでなのにそんなに号泣するなんて、お母さんのことが大好きなんだな、と幼いながらに思ったりした。
私が母のお腹から生まれた子供であることは絶対だ。でも、私は私の故郷がここじゃないことをなんとなく悟っていた。別に誰に教わった訳でもない。幼い頃は今よりも精神年齢が高くて、思慮深い子だったようなので。
それから、生きづらさと共存しながら、ある程度まで根性と気力で頑張って生きてきた。
そしたらある日、薬なしでは生きていけなくなった。
永遠と続くはずだった幸せを自ら放棄した過去。
想い出は走馬灯のように夢として、私を蝕むだけ。
生きづらさを抱え込み心を犠牲にする事で目を逸らしていた現実を直視させられ、無意識に強制された一縷の涙。
なんで泣いてるのかもわからないまま、皮肉にも心とは相反する晴々とシた朝を迎える。
あれは小学校3年生だった気がする。
ひとりでお風呂に入って、シャンプーしてシャワーで流そうとした瞬間、どうしようもできない孤独感に襲われた。
あの時のことは今でも覚えている。孤独感が強すぎて恐怖を感じたことも勿論。
それ以来、恐怖を感じるくらいの孤独感に襲われることはなくなった。
でも、中学生のころだった。
塾の帰りは22時半と遅く、夏でも外は真っ暗だった。
自転車で通っていた私は夜空というか星を見上げながら帰るのがルーティンのようになっていた。夜空というか星を見るととてつもない安心感が得られる。高3の時に人生初の肉眼で見た流れ星は一生忘れない。
冬になれば、日が落ちるのがはやくなって部活終了後にも星が見えるくらいに真っ暗だった。
友達の帰りの支度を待っていたのか何だったのかは覚えていないが、ソトで待っていた私は無心で夜空を見上げていた。
すると、無意識のうちに帰りたいと思うようになった。星空を見ると帰りたいって思うようになった。辛いことがあった時は、星空を見て帰りたいって小声で泣きそうになりながら呟いたこともある。
続きは気が向いたら書く