自分の食べてる肉が作られる過程、なんとなく知ってはいたけど、目で見たことはなかった。
色々調べるも、自分がその現場を生で見る方法がいまいちわからず、一番簡単にそこに近付けるのが品川の食肉市場内「お肉の情報館」らしいと言うことで、試しに行ってきた。
博物館的な展示を期待して行ったところ、学校の教室2〜3個分くらいのスペースに、牛豚とそれらが枝肉の状態になった模型、内臓の模型、食肉市場内で使われる器具や工程の説明、家庭用テレビの前に3人掛けくらいのイスが置いてあるだけの紹介動画が見られるスペース、屠殺業への差別をなくそうという展示、などがあった。
見終わった最初の感想、これあんまり伝えようとしてないよね?ってものだった。
差別の展示で、漫画や小説の表現を差別的だと言う被害妄想ともとれるスタンス(個人的には時代背景等からそういう表現を用いている場合、必ずしも差別を助長するものだと思わない)を見たせいもあるかもだが、根強い差別や偏見のある中で、声を大にしてまで屠殺業への理解を得たいわけではないのかなって気がした。
個人的には屠殺業を営む方への差別、という気持ちがカケラも理解出来ないので、そもそもなぜ蔑まれなければいけないのか不思議で仕方ない。
展示にもあったように、日本の歴史上身分制度で低い位置とされた人の仕事であったとかいう背景からくるものもあるようだが、現代において少なくとも肉を食べている人が、それらを加工している人を蔑む整合性のなさに疑問しか感じない。
もっと言えばベジタリアンの方にしても、それには同意しないのは自由だが、否定して辞めさせようとするのは、ベジタリアンの方に野菜がかわいそうだから食べるなと言ってるのと同義であって、強要出来るものではないよなぁと感じる。
自分自身都会育ちで、肉の加工どころか畑で野菜を育てる姿もほとんど知らずに育っているので、実際映像でも生き物の状態から食べ物の状態に変わっていくのはとてもインパクトが強いもので、自分がこの仕事を日常的にしていくのは厳しいなと感じると、農家の方も屠殺業の方も、同じ食品の生産者としての位置付けとして、改めてそれを担ってもらっていることに感謝の念が湧くものであった。
その中で、肉を食べると言うことについて色々考えたいと思ったが、それはまた改めて書くする。
色々調べるも、自分がその現場を生で見る方法がいまいちわからず、一番簡単にそこに近付けるのが品川の食肉市場内「お肉の情報館」らしいと言うことで、試しに行ってきた。
博物館的な展示を期待して行ったところ、学校の教室2〜3個分くらいのスペースに、牛豚とそれらが枝肉の状態になった模型、内臓の模型、食肉市場内で使われる器具や工程の説明、家庭用テレビの前に3人掛けくらいのイスが置いてあるだけの紹介動画が見られるスペース、屠殺業への差別をなくそうという展示、などがあった。
見終わった最初の感想、これあんまり伝えようとしてないよね?ってものだった。
差別の展示で、漫画や小説の表現を差別的だと言う被害妄想ともとれるスタンス(個人的には時代背景等からそういう表現を用いている場合、必ずしも差別を助長するものだと思わない)を見たせいもあるかもだが、根強い差別や偏見のある中で、声を大にしてまで屠殺業への理解を得たいわけではないのかなって気がした。
個人的には屠殺業を営む方への差別、という気持ちがカケラも理解出来ないので、そもそもなぜ蔑まれなければいけないのか不思議で仕方ない。
展示にもあったように、日本の歴史上身分制度で低い位置とされた人の仕事であったとかいう背景からくるものもあるようだが、現代において少なくとも肉を食べている人が、それらを加工している人を蔑む整合性のなさに疑問しか感じない。
もっと言えばベジタリアンの方にしても、それには同意しないのは自由だが、否定して辞めさせようとするのは、ベジタリアンの方に野菜がかわいそうだから食べるなと言ってるのと同義であって、強要出来るものではないよなぁと感じる。
自分自身都会育ちで、肉の加工どころか畑で野菜を育てる姿もほとんど知らずに育っているので、実際映像でも生き物の状態から食べ物の状態に変わっていくのはとてもインパクトが強いもので、自分がこの仕事を日常的にしていくのは厳しいなと感じると、農家の方も屠殺業の方も、同じ食品の生産者としての位置付けとして、改めてそれを担ってもらっていることに感謝の念が湧くものであった。
その中で、肉を食べると言うことについて色々考えたいと思ったが、それはまた改めて書くする。