今は母と心地よい距離をとりながら過ごしている毒りんごです。
まだ母から離れられず母を求めていた頃の私の話と現在の話を織り交ぜてブログに書こうと思います。
小さい頃は母の喜ぶ顔を見たくて始めたお手伝いが日に日に私がやるものになっていきました。
洗濯やお皿洗い、ご飯の準備などなどシンデレラではなかったけれどシンデレラの気分でした(笑)
そして1時間数十円、時には500円でやらされるマッサージ。
これも最初は母が喜ぶのでやってました。
時間も5分10分だったので…
母の喜ぶ顔が見られればそれだけで良かったのに日に日に求められるものだけ増えてしんどかったのを思い出します。
ご飯を炊き忘れると怒られたり
寝たかと思ってそ〜っとマッサージをやめたら
まだ寝てないよ!!!!と怒られたり
(↑まだ寝てないから続けろとのこと)
ほんの一部の出来事ですがこの経験から人にマッサージするのがすごく嫌になりました(笑)
またはされるのも嫌です(笑)お返しに同じ分しなくちゃいけない気がして…
そしてお年玉、私はお年玉だけが収入源でした。
お年玉でお洋服や駄菓子、時には食費に身の回りのことはお年玉で購入していました。
それなのに、母は私のお金だ!と奪ったり
今月足りないからお年玉の3000円もらうわね、今度返すからねなどととっていきました。
私が身の回りをしっかり自分でできるようになると母が楽しようといろんな仕事を押し付けてくるようになりました。特に家事です。
仕事で疲れてるからと自分がどれだけ疲れていて可哀想なのかを一生懸命伝えてくるので当時の私は母は大変なんだ、私を支えるために仕事を頑張ってくれているんだなどと考え全部家事をやっていたのでした。
もちろん本心はめんどくさいし、勉強したいし、友達とも遊びたい、家事なんてやりたくないし、友達がお弁当を作ってもらっていることや親の手作りご飯を毎日食べられることですら羨ましいと思っていました。
それでも私が自分でやらないと自分の着る服すらなくなってしまう、ご飯もまともに食べられないのでしょうがなくやっていました。
バイトをするようになると母はお金を欲しがるようになりました。
生活だって大変なはずなのに自分が楽しむお金は惜しみたくなかった母でした。
当時はそんな母に気が付かず生活費が足らないからと渡していたお金は全部旅行や飲み会代に消えていたのでした。
クレジットカードを持てるようになり私も母からの洗脳が解け始めだした頃、またお金が欲しいと言われました。
もちろん断ります。お金がないから貸せないよ、渡せないよと。
そうすると母はキャッシングできるでしょ?
3万円必要なのよ!と言ってくる
毒親っぷりです😂
私は絶対自分の子どもにキャッシングをさせたくないしお金を借りたいとも思わないです。
この経験がなくても子どもからお金をもらおうなんて思わないと思います。
お金の無心は母が再婚するまで続きました。
母は心が満たされていなかったのだろうと感じます。
または子どもなんてどうでもよくてお金をくれる道具や母を楽にさせてくれる道具だったのでしょう。
今までは「可哀想なお母さん」戦法でこられると胸が締め付けられ、私が力になれるならと馬鹿みたいに自分を犠牲にしてまでなんとかしようと思っていたのですが
私がしなくてもいいと気がついてしまったんです。
母は自分の選択で好き勝手生きて時にはお金がないだの大変だのあると思うけれど
私が責任を負わなくていいのだとわかったのです。
ここで手を差し伸べないなんて、なんてダメな娘なんだ!と思う時もありました。
育ててくれたんだ!なんて…
周りから親孝行しなくちゃだめだよ!したい時に親はいないんだからなんて言われた時もありましたね。それはあなたの考えであるので押し付けないで欲しいと今なら言いますね。
親孝行してないなんて!とうるさいこと言ってくる人もいますけど自分が親孝行したらいいのであって人に押し付けてくるのは違うと私は思うのですよね。しかもそれが常識であるかのように言ってきて😅めんどくさい人もいますけどここも同意するのであればすればよくて、違うなぁならしなくてよくて、あなたの正解を見つけてあなたがしたいようにすれば良いのです😊
私の母はハッキリ言って産み落としただけに近く
放置気味の家庭だったので…🤣
余計にそう思うのだと思いますが
これが過干渉な毒親だとまた違うのかもしれませんね…
私の母は助けてくれないなんて娘じゃないや人としておかしいや常識がないなど私をわざと刺激するような言葉を選んで言ってきたりもしました。
まだ母を求めていた時は娘じゃないに過敏に反応してしまい、良い娘になるには支援しなくちゃ!!となっていました。
でも本当に良い娘って支援することなのでしょうか?良い娘って誰基準の良い娘?
他人は好き勝手言います。その人の基準で。
そして思い通りにするためにいろんな言葉を使って揺さぶってきます。
結局、その人の思い通りに動かしたいから言ってくるんじゃないかと思うんです。
母にとっての都合の良い娘なんですよね。
母だけでなく職場の人だってその人の基準から外れたらびーびー言ってきます。思い通りに動かないだけで変だのずれてるだの。
(私はそんな職場の人や関わる人がいたら毒親なんだろうなぁ支配したいんだろうなぁ自分が満たされていないんだろうなぁと勝手に判断してます(笑)ごめんなさい(笑))
例えそれが世間一般の基準だったとしても正解ではないんだと思います。
大切なのは自分は自分の人生を好きに生きることができて、責任は自分でとる、他人に責任を押し付けてはいけない、そして
「他人の責任まで取る必要はない」
これに気が付いたらずいぶん楽になりました。
お金の支援はしたいならしていいと思うんです。
私の場合は母がダメになると思ったのと、私自身が母に渡したくなかったので渡さなかっただけです。
これも自分で決めて大丈夫。
ただ自分としっかり話して決めたことなら、渡しても渡さなくてもよいのです。
自分の気持ちが大切です。
と言っても最初は自分の気持ちだって蓋をして生きてきたのでわからず…
少しずつ体や心に出る違和感(例えば頭が重くなる、胸が締め付けられる、ざわざわする、なんか腹が立つ、モヤモヤ、涙が出そう…などなど)から本音を探っていきました。
なので、母へお金をあげるということでイメージすると
私は母からお金を貸して欲しいと連絡がくると
胸がざわつきます。
そこから、どうしてないんだろう?と思考が働き
母が生活でなくなったなどいろんな理由を伝えてきます。いつも通りお金がなくてご飯も食べられなくてなどと言ってきたりします。
そうすると私の心では本当なの?
食べられないなら可哀想だよ
でも何度もお金を渡して旅行や飲み会に使ってたの知ってるよね?
といろんな私が私の中で話をします。
貸さなかったら、母から娘じゃないって言われたりガッカリされる…
ガッカリされると嫌だな…
今度会う時があれば塩対応されるんだよなぁ、せっかく会うのに無視されたり嫌だな…
と貸すための言い訳を最初はしていました。
貸さないと愛されないとまで考えていました。
でも最初に反応したのは胸のざわざわ。
これを観察していきます。
(カウンセリングでやる時もあれば私はセルフカウンセリングも学んだので自分でやる時もあります)
そうすると前にお金を貸して私は切り詰めて生活しているのに、足りないからと貸したお金で旅行などで楽しんでいた母がイメージで思い出され
母に対して、「本当はお金あるんだろ?!自分が持っているお金以上に遊びたいんだろ?!子どもの生活も考えずに自分さえ良ければいいんだろ?!くそ親が!!」と言いたい言葉もでてきました。
それを言葉に出す(外に出す)と少しスッキリしました。
そしてどうしたいのか?と自分に問うと
貸したくないと結論がでたのでした。
自分の生活を苦しめてまで母に貸したくないと。
母のために生きているんじゃないと。
少しの自分の違和感を見逃さずに向き合うと本音と向き合えるように思います。
それでも当時はすごく葛藤しました。
母から愛が欲しかったので。
お金を渡して愛されるなら愛されたかったのです。ありがとう、毒りんごだけが頼りだよなんて言われるだけで嬉しかったのです。
私はこんな親にはならず
無償の愛を子どもや夫、大切な人に渡したいです。
そして当時の私にはお金を渡さずとももらえる愛があることを教えたい!尽くさなくてももらえる愛があることを!
今日もブログを読んでくださった皆様が素敵な一日を過ごせますように☺️