血の繋がらない父親って聞くと、どんなイメージが湧きますか?

他人。赤の他人。
僕にとっては他人だ、

でも、その“赤の他人”が、僕にとっては人生で初めて「パパ」と呼んだ人だったんです。
そう、当時の母の彼氏――今でいう“義父”ですね。

僕の家族は8人。6人兄弟。世間的には「大家族」と呼ばれる部類だと思います。
僕は上から2番目の次男。

兄弟構成はというと、上の3人は同じ父親、下の3人はそれぞれ父親が違うという、ちょっと複雑な家庭。
順番で言えば「兄 → 僕 → 妹 → 弟 → 妹 → 妹」です。

前回、実の父について書いたので、気になる方は過去の投稿を読んでみてください。
今回は、僕の“弟の父親”、つまり僕が「パパ」と呼んでいた人との話を綴ります。


僕がその人を「パパ」と呼んでいたのは、物心ついた頃から7〜8歳までの間。

一緒に暮らしていた日々の中で、公園に連れていってもらったり、ザリガニ釣りや滑り台で遊んだり…。
今でもその光景は、ちゃんと覚えています。

とても優しい人でした。
怒られた記憶はあまりありません。
ただ、宿題をサボると、優しい声で「やりなよ」と注意されていました。

当時は「うるさいなぁ」と思っていたけど、今思えば――
僕のことをちゃんと見て、ちゃんと考えてくれていたんだなって、思うんです。


ある晩のこと。
兄弟ひとりずつ、寝室に呼び出されました。
そこには、改まった表情の母と“パパ”。

いつもと違う空気の中で、こう言われました。
「離婚しようと思ってるけど…どう思う?」

僕は、当然「嫌だ」と言いました。
でも、僕の気持ちは届かず、彼は家を出ていきました。

大人の事情。
そう聞かされても、ずっと納得できませんでした。

そして、19歳になった頃。
ようやく、その“事情”を知ることになります。


彼は仕事が長続きせず、すぐに辞めては職を転々としていたそうです。
母の弟(つまり僕の叔父)の会社で働いていた時期もありました。

今、僕が住んでいる家は、昔その叔父が住んでいた場所。
ある日、偶然見つけたんです――当時の“パパ”の給料明細。

【日給:8000円】
その頃、家には僕・兄・妹・弟の4人の子ども。
両親を入れて6人家族です。

8000円の日給じゃ、とても生活は成り立ちません。
当然、母も働いていました。

でも、それが逆に“パパ”を甘えさせてしまったのかもしれません。
だんだんと働かなくなり、何度言っても変わらなかった――
それが、離婚の理由だったそうです。


今、僕は思います。

自分が親になったときには、絶対に“余裕”のある家庭をつくりたいって。

お金がない中、子育てと仕事を毎日頑張っていた母。
頑張ってはいたけど、余裕なんてなかったと思う。

それでも、母も“パパ”も、子どもたちには心配をかけまいと、余裕があるふりをしていました。
でも、僕は小さい頃から敏感だったから――気づいていました。

給料明細を見つけたとき、母に見せました。
そのとき母は、静かに「しんどかった」と言いました。

「やっぱりな」
そんな感情が、胸の奥にじんわりと広がりました。


この経験を、悲しい話として終わらせたくない。
だから僕は、自分に家族ができた時は余裕のある家庭にしたいと思っています。