貧困にはレベルがあると思いますが、

今の私の日本暮らしと比べたら

海外で過ごした生活は

貧困生活だったと感じます。

 

それでは私が覚えている

8歳まで海外で経験した貧困生活を話ます。

 

 

 

私は小学2年生まで

海外の学校へ通っていました。

その学校では給食なんてなく

お弁当でした。

 

私は当たり前のように毎日お弁当を

持って行ってませんでした。

周りの女の子達は可愛いキラキラとした

大きなお弁当を持っていてとても

羨ましかったです。

 

私はたまにおばあちゃんから

もらえる小銭でお弁当といえるまでの物を

買えませんでしたが、少しはお腹を満たしてくれる

食べ物を買えたのでないよりマシでした。

 

正直、学校の中でのランチタイムが一番嫌いでしたね。

だからたまに学校を抜け出して

帰宅することもありました。

 

 

またその学校にはトイレがなく

学校の前にある草のとこでみんなと

小便をしてました。

でも大をしたいときは

速攻帰宅した時もあります。

 

 

もう一つは

電気代を払えずに家が停電します。

停電がよくありました。

私はまだ子供だったので

それが大変だった事をあまり思っていなかったです。

冷蔵庫やエアコン、洗濯機があったわけでもないし、

夜にろうそくを付けて

ママの兄弟達と影遊びをするのを

楽しんでいた事を覚えています。

 

また

家にご飯がない日はよく

米に”油” ”醤油”をかけてました。

意外と美味しかったですが

体に悪いですね。^^;

 

もう一つ覚えてるのが

”チョコパイ”みたいなお菓子が

どうしても食べたかったのですが

お金がなかったので

道端でそのお菓子の袋を見つけた時

もしかしたらと思い、、拾って中身をみたら

食べかけが入っていたのです。

ずっと味わいたかったので

迷わず食べました。とても美味しかったです。

 

日本から11年ぶりに

おばあちゃんの家へ帰った時

そのお菓子を自分のお金で買えた時

涙目になりました。

 

あのお菓子は私にとって

一つの思い出になりました。

まだそのお菓子が売られてるので

また海外に行ったときに買いに行きたいです。

 

話に戻ります、、

母からの仕送りもあったので

時には美味しいご飯を食べたり

日本のものが送られることもあり

とても嬉しかったです!

良い香りだし、質も良くて好きでした。

日本は良いところなんだろうな〜って

時々想像をしていました。

 

 

私の海外生活は

極端に貧困ではありませんでしたが

今の日本生活と比べたら

日本生活の方が安全で美味しい

給食も食べれるので日本に連れて行ってくれた

母と義理の父には感謝をしています。

 

ありがとう。

 

 

続きは

↪︎ ❺小学生の時、母からDV 「新たな家族との日本生活の始まり」