昭和ど真ん中の時代に育ったので、

 

 

小学校の教室では

「清く、正しく、美しく」が書かれた書が

掲示板に貼ってあって、

 

時に朝礼や学活で

クラス全員で読み上げた記憶もあります。

(たぶん、低学年の時)

 

 

 

若い方は、、、、???

そういうのはなかったかもしれませんね。

 

 

ですが、

この話、まだ続けます。笑

 

 

 

でね。

 

 

思い返せば、私って

結構素直な子だったのだなー。

と、そう思えてきました。

 

 

人は、みんな

清く

正しく

美しく

を、目指して生きていくんだ。

 

それを教えてくれる先生、親、大人たちはみんな

清くて正しくて美しく生きているんだと、

 

 

本気で信じていました。

 

 

なんか、私いじらしい。笑

 

 

 

ですが、それを信じ過ぎたことで、

 

 

それに反する自分はダメで

それに反する友達もダメで

と、いう

 

 

私の中で

人や物や出来事など、

この世界にある全てを

ジャッジするということが大きく育ったのだと思います。

 

 

 

そして、

〇〇しなければいけない

〇〇でなければいけない

must…must……と、

 

 

どんどんmustが増えていきました。

 

 

 

あ。

ここで言っておきますが、

決して清くて正しくて美しいのが

いけないとかの話をしてるのではないのです。

 

 

ただ、何を持って

清いか、、、、

正しいか、、、、

美しいか、、、、?

 

それは、人それぞれですから。

 

 

 

でね、

その「清く、正しく、美しく」は、

 

 

大人になって

思い出さなくても

自分の気づかない私の心の奥底で

ますます大きな存在となって根を張っていったのでしたー。

 

 

今でも

時々顔を出してくることもあります。

 

 

ジャッジの元になるもの

こだわりの元になるもの

 

 

そして

清く正しく美しくない自分を

責めて否定する元にもなっていたなぁー

 

 

そう気づきました。

 

 

 

だから、

もう手放そうと思います。

(ゆっくり…かもしれないけど、)

 

 

『清く

正しく

美しく

 

なくたっていいんよ。

 

 

辛い顔したり

悲しんだり

孤独になったりするぐらいなら

 

 

清く

正しく

美しくなくたっていいからー。

 

 

それより

軽く

清々しく

楽しく

 

の方が、いいよね。。。

 

 

うん、いいよね。』

 

 

 

と、

そんなひとりごとを言って過ごす休日でした。

 

 

 

今日もここまで読んでくれてありがとうございました。

嬉しい〜😄💖です。