今日は香奈たいの運動会でした
{253D628E-873D-4FD4-8086-9929A945AD7E:01}

最前列に座るかずσ(^_^;)

かずと、一緒に保育園の運動会の応援です!!かずは、妹、弟フェチσ(^_^;)笑なので、けっこう全力で応援しますよ!それと、2人が保育園で、私と2人で、観戦するのも楽しみにしているような事をチラッと言ってました
(⌒-⌒; )照

今までにも、ブログにちょいちょい書いてきていますが、けっこう母が好きなかずです
(⌒-⌒; )
香奈は、必要以上にしっかり者。
やっぱり思うのは、かずが1歳半の時に産まれた香奈は、かずばかりに手を焼く母の姿を見て、自然と、必要以上に気を使う子になっていました。
(´・_・`)正直、香奈がいてくれて助かる事ばかりで、私の方が今も香奈に甘えてしまったりします。
発語が遅かったかずの、お手本になったのは、妹の香奈でした。1歳前からちょいちょい喋り始めてくれて、かずの刺激になったと思います
かずは、1人目の子だったので、成長の基準?が分からなかったので、自閉症の不安などありながらも、こんなもんなのかなあ。とか思っていましたが、香奈の成長を目の当たりにして
これが、普通の発達なの??!!
!(◎_◎;)とビックリする事も多かったです
そして
その香奈より、要領よく生きていく、たいには、感心しますね
σ(^_^;)

今日の運動会は
{B1AE908C-54EB-4F0F-AF2F-38E3961D92D3:01}

気持ちよすぎる空で、

{1E5B1797-ED50-483F-BE28-8EC67DB4829F:01}

たいは、いちばん!!(≧∇≦)

{BD8C134A-6C12-47FF-B24C-8DB416647928:01}


香奈は、ちょっとドンくさいので。
頑張って踊っていました(⌒-⌒; )笑

急ですが、σ(^_^;)
たいが産まれるときの話します。
{89852485-3E35-4F40-A2CD-8FE9B9CC37FD:01}
赤ちゃんたい❤︎と、かず3歳
(*^_^*)

かずが、保育園入園の話をしてきましたが、入園する、一週間前の3月末に、たいは産まれました。
たいの、産まれた3月の11日は、
東日本大震災でした。その約二週間後にたいが、産まれました。
うちは、主人は陸上自衛官でした。
あの地震があり、津波があり、その日に主人は、災害派遣で、宮城県へ行きました。私は、いつでも、たいが産まれてもおかしくない状態でした。あの状況で、自分の出産よりも、見るに耐えがたい事が、東北で起こっていて、いつ帰れるか分からない主人には、困っている人を助けてほしい。と、気をつけてね。と伝えて。一目見て、出発していきました。
出産は、市内に、自分の両親が住んでいるので、そちらで、かずと香奈をお願いするしかないな。という感じでした。
出産の時は、母親は、家で、かず香奈を見ててくれたし、病院に一人ぼっちで、辛くて泣いていました。
でも無事に出産できて
でも、
何万人もの人が、亡くなられて、テレビも、ずっとその事で、病院で、テレビを見ながら、複雑な気持ちで、私は嬉しいんだけど、生きるって、産まれるって何だろう。とか思いながら、生きている感謝と、東北でおこっている事のかなしさと、余震が度々起こっている東北にいる主人の事と、ばあばと居る、かずの心配など、考えていました
出産中、出血多量で、輸血する際、看護師さんが「ご主人連絡とれないよ!」「付き添いいないの?」など言ってましたが、しんどくて、何も言えなかったけど。

主人は、ずっと東北でたいに会ったのは、6月でした。そんなのどうでもいい事ですがσ(^_^;)可愛いたいが、今、居てくれてるから。


その時の私の母親の話なんですが、
私の母が、その当時、正社員で働いている会社で「娘の主人が、災害派遣で不在なので、娘の出産前後に休ませてほしい」とお願いしてくれていました。だけど社長が、認めてくれなかったみたいで、出産何日か前に、会社辞めてきたから。と言って帰ってきました。
娘や孫より大切なものはない。と言ってました。
他人が聞いたら、ワガママな話なのかもしれませんが、私は、母に、本当の母親を見た気がしました。

めちゃくちゃな話かもしれません
(>人<;)

でも、その時に、この人私のお母さんだって思いました。

また、これも、不思議な話だと、思うのですが、私、12歳から18歳まで実家から離れて、暮らしていた為、母親と、信頼関係がなかったんです。正直、お母さんが嫌いでしたし、18歳で、実家に戻って、でも早く離れたくて、たまたまタイミングもあり、19歳で結婚して。あまり、お母さんに本音って言えなかったんです。
それが、
かず(第一子)を産んで、育てて、少し、母親の苦労や、ちゃんと大人にしてくれた事に感謝しました。
少しお母さんと、気持ちが近づきました。

そして、この、退職事件σ(^_^;)で、完全に信頼しました。

そして、主人が災害派遣から戻るまで、サポートしてもらいました。
そして、たいが生まれてすぐに、かずは保育園に入園し、広汎性発達障害の事、保育園での辛いこと、が起こりました。
私の母親は、うちに泊まり込みで来てくれていたのに(退職事件で、無職だったしσ(^_^;)笑)かずの、その事だけは、話せなかったんですよね。

普通、すぐ相談しますよね(。-_-。)

曖昧に「なんか、落ち着きないみたいで、検査にいかなきゃ」とか「ちょっと、問題あるみたい」とか、母親に伝えていました。
初めから、話せばよかったと、今は思いますが、打ち明けれず、
障害者って分かったら、可愛いくなくなるんぢゃないか。とか、
孫に障害があると分かるとショック受けないか。とか思っていました。
1番は、自分が、かずの状態を受け入れたくない。
自閉症っぽいけど、普通。
でいてほしいって思ってたからだと思います。


そんな風に、誤魔化しながら、初めての療育や、診察に通っていました。

そんな中で、就職活動を始めた母は、
「50歳になるし、事務仕事ならなんでもいい」って感じで、ハローワークで、仕事を探していました。そして、何件か、面接など受けていました。
そんな中で、
たまたま
ただの事務職で、
たまたま

かずが、通わせてもらってる療育を運営している
NPO法人の事務職の面接日時を決めて帰ってきました。
私は、それを聞いて、ドキっとしました。

母は、
「明日、事務の面接にいく。何をしてるか分からないけどNPO法人で、NPOってよく分からないけど、事務で、場所が近いから助かる。」って
言って書類を見せてきました。

私は、
かずの障害の事バレるぢゃん。
って思いました。
当時は、こんな気持ちでした。
そのNPO法人ゆうさんは、発達障害の方の支援を多方面に主にしている所なので、

これは、かずの本当の状態を話さなきゃいかんと思い、その時に初めて、母親に、かずが、発達障害って診断されている事を話しました。
そして縁あって、母親は、そのNPO法人さんに就職が決まり、勤め始めました。
そして、なんの知識もなく、発達障害も、何も知らなかった私の母親が、
事務職でありながらも、そのNPO法人の活動や、発達障害の事、いろんな子供がいる事を知って
自然と学んでくれて。
自分からも、講演を聞きに行ったりしながら、学んでくれて。
今では私よりも色んな事知ってて、
色んな子供を毎日見てて、
もっと、重度の凸凹の子とも関わっていて。
今では、
私と、かずの1番の理解者で居てくれています。

あの時、退職してくれていなかったら、

あの時、たまたまNPO法人ゆうさんの求人がなかったら、

あの時、たまたま母親がそれを発見しなかったら、

今でも、母親とは距離があり、
かずの事も、話しなかったと思います。

神様が、私の心を救ってくれました。

まだまだ、私は母親8歳で、
私の母親は、おばあちゃん8歳だけど、
一緒にかずの事を考えてくれる人が居るの心強さは、本当にありがたいとしか言いようがありません。

ありがとう。本当にありがとうございます。
巡り合わせ、この運命にただ、感謝します。



とゆう。
長い文章になりました。
σ(^_^;)
{F9E6F097-49C5-4AC3-A3B6-B0D5F99C64F9:01}

運動会後の香奈(*^_^*)金メダル、、、
写ってないやん。Σ(・□・;)


最後まで、読んで下さる方がいらっしゃるのなら
ありがとうございます(*^_^*)
愛子