今日話してて
つくづく考えました。
自分は何も絵にしたいものを持ってないんじゃないか
ってずーーーっと思って
それから考えをはじめていたのですが
やっぱり
絵にしたいものが具体的に説明できないだけで
自分の中には絵にしたい何かが
あるんだろうっていうことを
考えています。
それがうまく説明できないから
いつもなにか
がっかりするんじゃないかっていう
それで変に固執しすぎてるんじゃないかなと。
確かに基礎的な技術があるのは
いいけどそれをどう身に付けるかの
モチベーションになる部分を
どうもおろそかにしすぎてたような気がします。
純粋に何かが好きだ
何かを絵にしたいって思って
それではじめて壁を考えるべきだったんじゃないかな
と改めて感じます。
ここ3年ぐらいで確実なモチベーションを
感じてやったことってやっぱり少なくて
いつもなんか様子見なかんじで
そこに確かな手ごたえを感じに行こうじゃないかっていう
考え方をできたときだけがすごく覚えていることです。
やっぱり自分で考えて動けたっていう
プロセスはすごく大事にしなきゃいけないものじゃないかと
思います。
映画の中の主人公たちは何も考えずに
動いていますが
監督や作り手はそこに何か自分が絵にしたいものを
置いて動かして行くわけで
それの部分を放置したままでは
誰もが責任を果たさないで終わってしまうのか・・・。
っていう単純なことにさえ
気を入れて考えられないような
生活をしてたのを
すごく反省してます。
自分の中での発見がたとえ
他の人にどう見えようとも
自分としてはすごく大きいことに感じています。
静かなる決闘
針恐怖症なので
いつ出てくるのか
びびりながら
静かなる決闘を見ました。
お医者の恭二さんが
戦時中軍医として手術したときに
誤って梅毒に血液感染して
その後戻ってきてからも
それのことがあるから
恋人とも結婚できずそれでも
診療所の良いもんの医師として
生きる的話しです。
恭二さんの強いのか弱いのか
わかんない性格が
ダイスキです。
峰岸くんにようやく
すべてをぶちまけてからの
元に戻り具合とか
(峰岸は同情して泣いて
むしろ自分も一緒に!みたいなかんじなのに
恭二さんはいやいや診察診察・・・と
出て行ったり)
主人公が発狂するヴァージョンの
エンディングも見てみたい・・・。
けどなんか別の人があてつけのように
出てきて、子供が死産でっていうのも
良かったけど。
黒澤明のお医者シリーズは
正義っぷりがたまらないね。
病気の治療法がまぁ古臭くなってても
ストーリーとキャラの考え方が
魅力的すぎます。