なぜならば、親が貧困であり子供に対して投資することができなかったからといって、子供が教育機会を得ることができないというのは子供に何のの罪もないためです。25歳男性を苦しめる「貧困連鎖」という呪縛という記事でもあるように子供の頃から貧しかったカツユキさんは同世代の子供の頃から貧しい生活水準を強いられてきました。そのまま社会人となり労働条件の守られる会社に勤めたいと口にしたり、この記事上において貧困の連鎖とら諦めの連鎖であると書かれた。自分の実力のなさが影響したのかその他の原因が影響したのか分からないようであった。 ただ私は他の原因が大きく影響を与えたように感じる。日本の相対的貧困率の推移を見るように子供の貧困率と比例していることがわかる。つまり親が相対的に貧困であれば子どもの貧困に影響する。そのため当然のごとく教育への投資は減っていると考えられるからである。そして世帯年収と子供の学力は大きく比例する。例えば世帯年収が二百万未満の子供の学力と世帯年収千六百万円以上の子供の学力では学力テストの正当率を見るに大きな差が生まれている。データから分かるように親の貧困と子供の学力に大きな相関関係があり記事上における貧困連鎖で他の原因つまり教育機会の均等がなされなかったと考察できる。 しかし一般的な意見として将来的に貧困になるのはその人の実力不足であるという意見もある。「教育困難大学」に集まる主体性ゼロの学生達という記事では主体性ゼロの学生が増えている現状があり、その理由として教育困難校で影響を受けたことが大きな理由としてあげられる。教育困難校では主体性ではなく他人の評価(先生の顔色を伺う)を気にして行動する学生が多い。そこで評価を受けた学生は先生から勧められ大学進学を行う。確かにこのように主体性ゼロの学生は自己責任の上でスキルが身に付かなかった側面があるだろう。またその人の勉強不足であったりという側面があるだう。 しかしこの記事にあるように主体性ゼロの学生が増えた原因として教育困難校、またあるいは小中学生の頃からアクティブラーニングを行った中で上手くいかなかった子供が教育困難校、そして教育困難大学へ進学するように推察される。アクティブラーニングから漏れた学生は高校教育の段階で主体性のある子供と差をつけられていると感じる。日本の幼児教育にたいする投資は他国と比較すると大きく遅れている。文部科学省のデータによると日本では3歳~5歳までの幼児教育では有償だがフランスでは99%が公立の無償である。幼児教育の段階で投資が少なく、アクティブラーニングを行う機会を増やすべきだと考えられる。また記事の東大合格「開成を抜くなら渋幕」を見ると主体性のある学生の集まる高校はグローバルな人材を輩出するようになっている。高校の段階で主体性ゼロの学生と主体性のある学生で教育に対して差が生まれていると見える。世界大学ランキングでは日本の大学はアジアの中でも順位を下げている。中国の大学やシンガポールの大学にことごとく順位を抜かれている現状がある。明らかに世界から日本の大学は遅れをとっている現状がある。その原因として日本の教育投資の少なさがあげられる。文部科学省のデータによると教育投資の対GDP比を見るとOECD平均は4.9%であるが日本は3.3%である。日本の将来を担う若者にたいする投資を増やすべきである。他国と比較して教育投資を増やし、教育の機会の均等ならびに質の向上を図ることは必要不可欠である。