あらすじ(フジテレビONE/TWO/NEXTより抜粋)
都会の絶望の果てで知り合った、孤独なホステス砂田まりあ(鈴木保奈美)と孤独なピアニスト高村士郎(三上博史)の究極の愛を描いた悲劇!盲目のまりあの妹(桜井幸子)、愛を信じることができない神矢征司(豊川悦司)など、メインキャスト全員が孤独であり、悲しい過去、心の傷を抱えている。彼らの人生が交差し、重厚な人間ドラマを描いていった野島伸司の不朽の名作。
主人公の砂田まりあは貧しいピアニストの高村と裕福な実業家である神矢の両方から愛され、その間で揺れ動く。
天才ピアニストの<士郎>が人生に嫌気がさして記憶喪失だって嘘をついて
ホステス<まりあ>と同居生活を送るわけね。
<士郎>はピアノ弾けることで初めて人から必要とされてきたわけなんだけど
記憶喪失で何もできないありのままの自分を必要って言ってくれる<まりあ>に惹かれていくわけ。
そんなドラマなんだけど、私が一番好きなのは第4話のラストシーン。
そんな2人の生活も長くは続かなくて<士郎>の奥さんに見つかって
<士郎>は元の生活に戻ることになってしまうわけ
<まりあ>も<士郎>のためを思って身を引こうとする決心をするんだけど
いざ別れの時になってね。
<まりあ>が「まって…いかないで…」って言って割れたグラスで<士郎>の手をつぶそうとするの。
そしたら奥さんが「この人はピアノしかできない人なの…ピアノ弾けなくなったら他に何もないのー」
っていうのさ
それを聞いた<まりあ>は手をつぶそうとするのをやめるんだけど
<士郎>が<まりあ>の手をつかんで自分の手をつぶしちゃうの。
そんで“ただの男としての僕はいま君と生きていくんだ…”ってモノローグが入るんだけど
ホントにピアノしかない人だから、
第5話からの<士郎>は、ただの何も出来ない人で<まりあ>のヒモなのね。
手をつぶしたことを後悔して<まりあ>に当たり散らしたり…薬に手を出したり…
史上最低の主人公と言っていいぐらい最低なの。
でも、まぁ当然そうなるよね。
だけどもね。手をつぶしたときは
その悲惨な状況になるってことを分かった上で手をつぶしたはずなのよ。
だからこそ第5話からの<士郎>を見てきた人間としてはこのシーンはホントに泣けるの。
初見のときは泣けなかったけど、2度目だからこそ泣けるわけ。
だって、1人の人間が自分の意志で自分の全てを失ったシーンなんだよ…
CSで放送されたのを録画してDVDに焼いてあるからいつでも見られるんだけど、
このシーンを流したらいつでもすぐに泣けるんだ。
野沢尚作品大好き大好きって言ってるけど野沢尚作品を抜かせば1番好きなドラマはこれかな。
野島伸司さんって一昔前なら誰でも知ってるような有名な脚本家の作品なんだけど、
その野島伸司さんの最高傑作はたぶんこの作品だと思うよ。
野沢尚さんっていうのは
細かいセリフの言い回しとかその人が思っている恋愛に対する価値観を緻密に描いて
涙を誘うようなのが持ち味なんだけど
野島伸司さんの場合は行動とかシチュエーションで涙を誘うのが持ち味の作家さんで
とにかく過激さが売りみたいなところがあるの。
北風と太陽的にいうと、
太陽が野沢尚さんで、北風が野島伸司さんってわけ
で、その中でも過激さを追求した作品っていうのがこの『この世の果て』だと思う。
何せ、このドラマの登場人物は愛するもののためなら自己犠牲もいとわないからね。
上の自分の手をつぶしちゃったやつもそうだし
硫酸をかけられて顔面崩壊してしまった女性がいたとしたら
自分の目をつぶして、見えないから大丈夫!って言ってあげたりとか…
そんなのもあるの。そして最後は<まりあ>が…・゚・(ノД`)・゚・。
このドラマのキーワードはとにかく自己犠牲なのね。
そしてさ、死なないんだよ。
いっくら自己犠牲って言ったって死んでくれたらそれで終わりになるけど
このドラマの場合は自己犠牲があったとして死なないから
その尻拭いをするのはたぶん相手なんだよ。
障害を背負った相方を一生面倒見なきゃいけない。
上のやつだってさ、冷静に考えれば「見えないから大丈夫!」じゃねぇんだよ
目の見えないてめぇの世話はどうするの?誰がするの?って話じゃん。
自己犠牲された側がそれを背負うって言うね。
安易に死に逃げないでそれを背負わせるように描いているのはいいと思ったな。
それでも醒めた目でこのドラマを見た人がいたら浅いって言うかもしれない。
特に野沢尚さんのドラマに慣れてる人ならそう思うかもしれないね……
だけども、もし自分なら絶対できないって思うことを
平気でやってのける登場人物たちには心動かされるものがあるのさー
ではー C= C= C= C=┌/^o^\┘
この世の果て (幻冬舎文庫)/野島 伸司

¥680
Amazon.co.jp
都会の絶望の果てで知り合った、孤独なホステス砂田まりあ(鈴木保奈美)と孤独なピアニスト高村士郎(三上博史)の究極の愛を描いた悲劇!盲目のまりあの妹(桜井幸子)、愛を信じることができない神矢征司(豊川悦司)など、メインキャスト全員が孤独であり、悲しい過去、心の傷を抱えている。彼らの人生が交差し、重厚な人間ドラマを描いていった野島伸司の不朽の名作。
主人公の砂田まりあは貧しいピアニストの高村と裕福な実業家である神矢の両方から愛され、その間で揺れ動く。
天才ピアニストの<士郎>が人生に嫌気がさして記憶喪失だって嘘をついて
ホステス<まりあ>と同居生活を送るわけね。
<士郎>はピアノ弾けることで初めて人から必要とされてきたわけなんだけど
記憶喪失で何もできないありのままの自分を必要って言ってくれる<まりあ>に惹かれていくわけ。
そんなドラマなんだけど、私が一番好きなのは第4話のラストシーン。
そんな2人の生活も長くは続かなくて<士郎>の奥さんに見つかって
<士郎>は元の生活に戻ることになってしまうわけ
<まりあ>も<士郎>のためを思って身を引こうとする決心をするんだけど
いざ別れの時になってね。
<まりあ>が「まって…いかないで…」って言って割れたグラスで<士郎>の手をつぶそうとするの。
そしたら奥さんが「この人はピアノしかできない人なの…ピアノ弾けなくなったら他に何もないのー」
っていうのさ
それを聞いた<まりあ>は手をつぶそうとするのをやめるんだけど
<士郎>が<まりあ>の手をつかんで自分の手をつぶしちゃうの。
そんで“ただの男としての僕はいま君と生きていくんだ…”ってモノローグが入るんだけど
ホントにピアノしかない人だから、
第5話からの<士郎>は、ただの何も出来ない人で<まりあ>のヒモなのね。
手をつぶしたことを後悔して<まりあ>に当たり散らしたり…薬に手を出したり…
史上最低の主人公と言っていいぐらい最低なの。
でも、まぁ当然そうなるよね。
だけどもね。手をつぶしたときは
その悲惨な状況になるってことを分かった上で手をつぶしたはずなのよ。
だからこそ第5話からの<士郎>を見てきた人間としてはこのシーンはホントに泣けるの。
初見のときは泣けなかったけど、2度目だからこそ泣けるわけ。
だって、1人の人間が自分の意志で自分の全てを失ったシーンなんだよ…
CSで放送されたのを録画してDVDに焼いてあるからいつでも見られるんだけど、
このシーンを流したらいつでもすぐに泣けるんだ。
野沢尚作品大好き大好きって言ってるけど野沢尚作品を抜かせば1番好きなドラマはこれかな。
野島伸司さんって一昔前なら誰でも知ってるような有名な脚本家の作品なんだけど、
その野島伸司さんの最高傑作はたぶんこの作品だと思うよ。
野沢尚さんっていうのは
細かいセリフの言い回しとかその人が思っている恋愛に対する価値観を緻密に描いて
涙を誘うようなのが持ち味なんだけど
野島伸司さんの場合は行動とかシチュエーションで涙を誘うのが持ち味の作家さんで
とにかく過激さが売りみたいなところがあるの。
北風と太陽的にいうと、
太陽が野沢尚さんで、北風が野島伸司さんってわけ
で、その中でも過激さを追求した作品っていうのがこの『この世の果て』だと思う。
何せ、このドラマの登場人物は愛するもののためなら自己犠牲もいとわないからね。
上の自分の手をつぶしちゃったやつもそうだし
硫酸をかけられて顔面崩壊してしまった女性がいたとしたら
自分の目をつぶして、見えないから大丈夫!って言ってあげたりとか…
そんなのもあるの。そして最後は<まりあ>が…・゚・(ノД`)・゚・。
このドラマのキーワードはとにかく自己犠牲なのね。
そしてさ、死なないんだよ。
いっくら自己犠牲って言ったって死んでくれたらそれで終わりになるけど
このドラマの場合は自己犠牲があったとして死なないから
その尻拭いをするのはたぶん相手なんだよ。
障害を背負った相方を一生面倒見なきゃいけない。
上のやつだってさ、冷静に考えれば「見えないから大丈夫!」じゃねぇんだよ
目の見えないてめぇの世話はどうするの?誰がするの?って話じゃん。
自己犠牲された側がそれを背負うって言うね。
安易に死に逃げないでそれを背負わせるように描いているのはいいと思ったな。
それでも醒めた目でこのドラマを見た人がいたら浅いって言うかもしれない。
特に野沢尚さんのドラマに慣れてる人ならそう思うかもしれないね……
だけども、もし自分なら絶対できないって思うことを
平気でやってのける登場人物たちには心動かされるものがあるのさー
ではー C= C= C= C=┌/^o^\┘
この世の果て (幻冬舎文庫)/野島 伸司

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